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見つかった工房関係の遺構


飛鳥池の工房遺構 発掘箇所は池底の北西部にあたり、西半部と南部がやや高く北東に向ってゆるやかに下がっている。高い部分では、この付近の丘陵の基盤である花崗岩の地山に遺構が掘り込まれ、東側の低い部分ではある程度の土を置いて整地したところに遺構がある。見つかった遺構には、柱を直接地画に埋め込んだ掘立柱建物8棟、掘立柱塀4条、大を焚いて赤く焼けた炉跡10基以上、井戸1基、溝、用途不明の土抗などがある。

掘立柱建物は発掘範囲の制約から、その規模の全容がわかるものが少ないが、いずれも柱を埋め込むための穴の1辺が50cm内外であることや、柱の間隔が1.8m〜2.7mのものが多いことから、建物4・5・6のようにせいぜい2間×2間か、3間×2間くらいの大きさのものであったといえるだろう。それらは面積にして、およそ40m2未満の狭いものである。このような建物の規模から類推して、屋根はもちろん板葺のものと草茸のものの両者が建っていたとみてよい。発掘地のうち、南西部にある建物は南北棟であり、北半にある建物は北で東にふれる方位をとるものである。建物5・6は西北側の柱通りがほぼ一致するから、2棟は1体のものとして使用していたらしいことがうかがえる。そしてこの建物内の床には、数回にわたって作り替えたC・D・Eという炉とGという炉、および単独のF・Hという4ケ所の赤く焼けた炉が存在した。長い間にわたって操業していたのだろう。これらの小規模な建物は、屋内外に炉を付属地設として配置していたり、付近の出土遺物から考えて、鋳物やガラス細工をするための作業場であったとみられる。そのほか、工作道具や原料を収納しておくための納屋も当然その一角にあったものと思われる。例えば建物7・8は、西側の高所から雨水が床に侵入しないように西北と西南の二辺に、溝を二重にめぐらしている。このうち、建物7は炉1と大いに関係があって、青銅器を中心とした鋳造工房であったと思われる。建物8または、より高所にある建物4は、この飛鳥池の工房で炉を焚き、温度を高めるために多量に使用する木炭を、湿けないように貯蔵するための倉庫であったかも知れない。

炉跡の平面と断面図 炉跡は高熱を受けたため、壁面が赤褐色または赤紫色に変色し、炉周辺の土も赤変しているためにすぐわかる。炉は屋内にあるものと屋外のものとがある。直径40cm前後のほぼ円形で、深さは10cm前後で浅い。地面を掘り下げただけのものと、穴を掘ったあと内側に粘土を張り什げて壁を造ったものの2通りがある。炉H(図3-2)の内部には厚さl0cmほど炭がつまっていた。炉G(図3-1)は、同し所で6つの炉が重なっており、古いものの内側に土を入れて粘土を張り、かさ上げしながら作り替えている。最下層にある当初の炉は、東西約75cm、南北50cm以上の大きさがある。後のものほど上位になるため、上面が削られて小さくなっているが、使用時は同様の大きさで継続して作られた。また、炉C・D・Eの3基(図3-3)は、少しずつ位置をずらしながら作り替えたもので、その下層にも2-3基の炉があったから、改修しながら継続して同し場所が使われていたことがわかる。炉1は直径約60cmで、内部に多量の炭がつまっており、その炭の中から銅釘や銅の切りくず、銅塊が出土している。

工房の敷地内には、作業空間を仕切ったり、風をさえぎるための簡単な板塀も立てられていたし、さらに、失敗品などの不要品や、作業廃棄物の捨て場所との境にも塀が設げられていた。建物9がそれにあたり、塀の東側や建物5の東南には、炉を帰除したときの多量の炭や灰に混ざって、さまざまな遺物を含んだ暗灰色の砂質土が堆積していた。まさしく、現在でいう産業廃棄物であり、われわれ考古学研究者にとっては宝の山である。ここから掘り出された宝が今回の工房復原に大いに役立ったのである。


見つかった工房関係の遺構 見つかった工房関係の道具類 まとめ
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