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ガラス工房[5]


飛鳥池のガラス工房で、原料を坩堝に入れて火にかけた後、どれ位の時間でガラスをとり出していたのかはわからない。しかし2〜3時間という短い時間では、出来たガラスの中に無数の小さな泡が混ざっていて、使いものにならない。

現在の工場の全く泡のないガラスを作る、10時間以上という手間暇までは、かけていないとすれば、正倉院に保存されている玉程度の泡の少なさにするとして、6時間前後という所だろうか。

着色
ガラスが出来上がると、仕事の段取りとしては、これに色をつけることになる。実際には坩堝に、混合した原料を入れる時に、発色材を加える場合と、炉中でガラスが出来上った後で、色を付ける成分を熔かし込むやり方のどちらもあったのだろう。

古代にガラスに色をつける材料としては、次の4つのものが知られている。
(1)銅、酸化状態で緑、還元状態では赤褐色の色となる。アルカリ石灰ガラスと組み合せると透通った青(縹)色がうまれる。
(2)鉄、鉄分の多い赤土という形でガラスに加えた。黄色、褐色系をつくる。
(3)石英、微粒をガラスに加え、熔けきらない状態で白色を得る。
(4)コバルト、紺いわゆるコバルトブルーをつくるが、日本では鉛ガラスにこの発色材を用いた例はなく、アルカリ石灰ガラスだけにこのコバルトの紺が見られる。

飛鳥池のガラス工房では、アルカリ石灰ガラスを使っていた形跡が全くない。となるとここでは、(4)のコバルトの色つけは、やっていないことになる。そして図録の表紙に使われた写真中の高松塚古墳の首飾りのような青色のガラスも、作られなかった。

鉛ガラスに鋼、赤土、石英粉を加えて色をつける仕事がおこなわれたのだろう。

工房跡から出た坩堝や蓋に付着したガラスに細かく刻んだ銅が解けこんでいるものがある。鋼は、緑青、鉱石としてはクジャク石として産出するものを砕いて使うと、これまでいわれてきた。しかし、この例から見ると、雨ざらしにした銅の切り屑などを、そのまま坩堝に掘り込んで、色をつける方法も、ここでは使っていたようだ。

透明ガラス
原料をそれぞれ純粋に精製することが出来なかったので、この時代には完全な透明ガラスは作れなかった。正倉院の宝物中に、輸入品とみられる、ごく少数の透明ガラスの玉があるのを、別とすれば、古代日本には透明のガラスはない。透明な玉が欲しい場合には、水晶などの透通った鉱物を磨き上げて、作るしかなかった。


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