飛鳥水時計の発掘

飛鳥の水時計飛鳥の水時計
飛鳥水時計の発掘





飛鳥には島田性の家が多い。飛鳥川にかかる甘橿橋の信号の前で電気店を営む島田清文さんは、昭和47年夏、「ミゾオチ」と呼ぶ小字の田圃、約l000m2に店舖を兼ねた家屋を建てるため、建築確認の申請書を明日香村に提出した。遺跡が密集する明日香村では、全ての聞発は、事前に役場へ届けなければならない。飛鳥での発掘は、このケースが最も多い。
この場所は、甘橿丘東裾を流れる飛鳥川の東岸をあがったところにあり、川から一段高くなった段丘上になる。「水落」の地名は、ここだげでなく、飛鳥川の上流にもあり、石舞台古墳の西南、祝戸橋の東岸、さらに上居の立石の西、冬野川の北岸というように、いすれも川岸に残る地名である。



石敷と基壇の発掘
水時計の発掘






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