** 葛城皇子 **
++訳は準備中++


三山の御歌
0013 香具山は 畝傍を善しと 耳成と 相争ひき
   神代より かくなるらし 古昔も しかなれこそ
   現身も 嬬を 争ふらしき

反歌
0014 香具山と耳成山と戦ひし時立ちて見に来し印南国原

0015 綿津見の豊旗雲に入日さし今宵の月夜きよく照りこそ

天皇の鏡女王に賜へる御歌一首
0091 妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺に家居らましを

鏡女王の和へ奉れる歌一首
0092 秋山の樹の下隠り行く水の吾こそ勝らめ思ほさむよは

147〜155挽歌488、489、1606、1607には額田が天智を想う歌が残されている。


葛城皇子・中大兄皇子・天智天皇
天命開別天皇・近江大津宮天皇(第38代)


・父:田村皇子(舒明天皇)
・母:宝皇女(皇極天皇、斉明天皇)
・兄弟:大海人皇子(天武天皇)・間人皇女
・正妃:倭姫
・妻子は前図の如し

645年:大化の改新で中臣鎌足とともに
蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼす
651年:難波長柄豊碕宮に遷都
653年:孝徳天皇を難波に残し
中大兄皇子ら飛鳥河辺行宮へ
662年:中大兄皇子、称制
663年:白村江の戦いで惨敗
667年(天智6年):近江大津宮に遷都
668年(天智7年):天智天皇即位
671年(天智10年):天智天皇崩御

天智天皇は,大田皇女の死後、祖父として孫の
大伯皇女と大津皇子姉弟を引き取る。
(父・大海人からみれば伯父に当たるが)
子の大友皇子と同じくらい大伯皇女・大津皇子姉弟
を愛していたのではないかと思われる。





更新日 2003年1月26日