** 水主皇女 **

冬のある日、靱負御井(ゆげいみい)に行幸された時、
内命婦石川朝臣邑婆が詔に応じて雪を賦した歌

松が枝の土に着くまで降る雪を見ずてや妹が隠り居るらむ(20-4439)

(松の枝が垂れて、土にさわる程に、降り積もっている今日の雪を
見ないであなたは今頃は閉じ籠っているのだろうか。気の毒だ)

この頃、水主皇女がご病気のために、参内にならない日が続いたので
太上(元正)天皇がお傍の女房たちに勅せられて、
水主皇女のお見舞いに賜うために雪の歌を
作って奉れと仰せられたが命婦たちはこの日歌が上手に作れないので
石川命婦だけが、この歌を
作ってお聞きに達したのである。

・父:天智天皇
・母:黒媛娘(栗隈首)
水主(もひとり)皇女に関する史料は少ない。
唯一推測できる歌が上のものだ。天智天皇の皇女で
元正天皇の頃まで生きていたということは
結構長生きされた人なのかもしれない。



更新日 2002年12月12日