** 長屋王 **

++準備中++

0075 宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに

0268 我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり君待ちかねて

0300 佐保過ぎて寧樂の手向に置く幣は妹を目離れず相見しめとそ

0301 岩が根の凝重く山を越えかねて哭には泣くとも色に出でめやも

1517 味酒三輪の祝の山照らす秋の黄葉散らまく惜しも


・父:高市皇子
・母:御名部皇女
・兄弟:鈴鹿王
・正妃:吉備皇女
・子:膳夫王、桑田王、葛木王、鉤取王、(円方女王?)ほか

715年:吉備内親王の子を皇孫扱いに(→長屋親王)
729年2月12日:長屋王の変、長屋王自殺(46歳)

親王・内親王を名乗れるのは天皇の子だけである。
高市皇子の子である長屋は皇孫なので「王」としか名乗れなかった。
しかし元正天皇の妹、吉備皇女と結婚していることから
親王扱いされた上に、左大臣として活躍していた。
その活躍が藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)
には気にいらなかったらしく
呪詛の疑いをかけられ自殺。
「長屋王の変」である。
妃の吉備皇女もあとを追った
二人の遺骸は生駒山に葬られた。
奈良そごうを作るときに長屋王邸として
広大な敷地が出てきたのでも有名。
大量に出てきた木簡には「長屋親王」と書いてあった。




更新日 2003年1月26日