石舞台古墳

 名前の由来は、月夜の晩に石(天井石)の上で狐が踊ったからだとか言われています。この古墳は、封土(もりつち)の上部がなくなり、玄室部の天井石と側壁の上方が露出していて、天井石が平たいので、古くから石舞台と呼ばれている様です。
 被葬者は、古代にこの地で最大の勢力を誇っていた蘇我馬子というのが最も有力な説です。
 玄室南側(写真左手側)の天井石の重さは約7.7tと推定されるそうです。
 玄室(げんしつ・古墳内部の棺を納める部屋)の長さは約7.6メートル、幅約3.5メートル、高さ約4.8メートル、羨道(えんどう・古墳の入口から玄室へ至る道)の長さは約11.5メートル、、幅約2.2メートルで、玄室底部から羨道中央部を南に通る排水溝があります。
 現在封土基部は方形で、外斜面に自然石の貼石があります。一辺の長さは約55メートル、その隍(からぼり)の幅は隍底で約6〜7.6メートルで、北方の幅は約6.5メートル。その外側に上幅約5メートルの外堤があり、内外斜面にも下方部と同じく貼石をしています。
 封土は方形・上円下方形とも考えられているそうですが、現在もはっきりしないそうです。

 羨道です。暗いので分かりにくいのですが、排水溝が通っています。
 発掘調査では石棺は発見されなかったそうでが、平らに加工された凝灰岩の破片が見つかったそうです。
 ここから中に入って見学できます。

 石舞台の玄室は公開されていますので、中に入って見る事も出来ます。実はかなり隙間があるので、不安定に見えて、ちょっと怖かったりして‥‥。(そんな事はないと思いますが)

参考:石舞台古墳の立看板

 
マップに戻る