私の明日香ファイル
〜明日香の見どころ、歩きどころ〜



  File No. 030 山田寺跡 やまだでらあと

 桜井市山田

蘇我倉山田石川麻呂・・・どこまでが苗字で、どこからが名前なのか?そういう疑問を持つ方も多いと思う。
長くなるのでその話題にはここでは触れないが、彼もまた蘇我氏の一員であり、有力者であったことは間違いないだろう。ここはその石川麻呂の建てた寺である。
大化の改新(乙巳の変)では中大兄に組みし、孝徳朝では右大臣の要職に就いたが、異母弟蘇我日向の讒言により謀叛の疑いをかけられ、この寺で自ら果てた。
やがてその疑いも晴れ、娘である天智妃遠智娘やその娘鵜野讃良皇女により、この寺は着工から45年を経てようやく完成する。
ここで発掘された回廊連子窓は、飛鳥資料館に展示されている。法隆寺よりも半世紀も古い日本最古の木造建造物である。
かつての本尊、薬師如来は興福寺へと移り、今は仏頭を残すのみである。
自身は謀叛の疑いで失脚したとはいえ、その娘たちは後世に重要な役割を果たしている。
寺は既になくとも、連子窓や仏頭を残し後世の人々を驚かせる。
彼は、私たちが思っているよりずっと、意外にしたたかな人物であったのかもしれない。そんな気がする。

 桜井駅より奈良交通バス山田寺前すぐ、飛鳥資料館より徒歩10分

 


・建て始めは641(舒明13)年であると「上宮聖徳法王帝説」(裏書)にあり、完成は7世紀の後半と考えられる。
・伽藍は四天王寺式で、回廊は塔と金堂を囲む。