飛鳥資料館/飛鳥の寺/瓦




軒丸瓦の色々

飛鳥寺
飛鳥寺


豊浦寺
豊浦寺


飛鳥寺
飛鳥寺


坂田寺
坂田寺


桧隈寺
桧隈寺


山田寺
山田寺


慈光寺
慈光寺


川原寺
川原寺


本薬師寺寺
本薬師寺寺


紀 寺
紀 寺


大官大寺
大官大寺


藤原宮
藤原宮
軒平・垂先瓦

岡寺の軒平瓦
岡寺の軒平瓦


岡寺の軒平瓦
岡寺の軒平瓦


藤原宮の軒平瓦
藤原宮の軒平瓦


藤原宮の軒平瓦
藤原宮の軒平瓦


大官大寺の 軒平瓦
大官大寺の
軒平瓦


飛鳥寺の垂先瓦
飛鳥寺の垂先瓦


飛鳥寺の垂先瓦
飛鳥寺の垂先瓦


山田寺の垂先瓦
山田寺の垂先瓦


桧隈寺の垂先瓦
桧隈寺の垂先瓦
鬼瓦

奥山久米寺の 鬼瓦
奥山久米寺の
鬼瓦


山田寺の鬼瓦
山田寺の鬼瓦


山田寺の鬼瓦
山田寺の鬼瓦


藤原宮の鬼瓦
藤原宮の鬼瓦

寺院や宮殿の屋根は、丸瓦平瓦を組み合わせて葺き、端には文様をもつ軒丸瓦・軒平瓦を飾った。
軒丸瓦には、ハスの花の文様(蓮華文)を主に用いた。6世紀末〜7世紀前半には、飛鳥寺の瓦のような、簡単な単弁をもつ百済系の軒丸瓦が主流を占めていたが、花弁の間をあけた高句麗系の瓦や、獣面を表した新羅系の瓦もある。
7世紀ごろになると、山田寺の瓦のように、単弁の上に装飾的な弁を重ね、蓮華文の外周に同心円をめぐらすものが登場し、さらに7世紀後半、唐の影響を受けた川原寺の瓦以来、複弁のものが主流を占めるようになった。そして外周に鋸歯文をめぐらすなど、はなやかなデザインになっている。
軒平瓦は、7世紀前半に出現した。坂田寺の瓦は、唐草文を手で彫ったものである。7世紀中ごろには、重弧文(じゅうこうもん)が流行したが、後半には唐草文が主流を占めるようになった。
各寺院は、軒丸瓦・軒平瓦をセットとしたデザインを考案して特色を競いあった。


飛鳥寺の屋根
6世紀末に、飛鳥寺の屋根を飾った日本最古の瓦は、百済から派遣された瓦工の指導で造られたものである。軒丸瓦も、7世紀に加えられた垂先(たるさき)瓦も、当時の朝鮮の瓦にそっくりである。このころは、軒平瓦はまだ生まれておらず、平瓦を軒に用いた。

藤原宮の屋根
瓦が宮の建物に用いられたのは、7世紀末、藤原宮からであったという。宮の建物を瓦葺きにするためには、ぼう大な量の瓦が要る。律令制が整い、官営の工房が出現することによって、初めて大量の瓦生産が可能になったのである。ただし、屋根に瓦を葺いたのは宮の建物のうち、一部にすぎず、宮の建物の大多数は桧皮(ひはだ)を葺いていた。


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