倭建命 白鳥陵

系図 青字は十四代天皇

※倭建命の父・景行天皇が曾孫の迦具漏比売命と婚姻できるはずはないので誤りであろう

・・・ここに、倭に坐す后等また御子等、もろもろ下り到りて、御陵を作り、すなはちそこのなづき田に・・・<略>
・・・かれ、その国より飛び翔り行きて、河内の国の志幾に留りましき。かれ、そこに御陵を作りて鎮り坐さしめき。
すなはちその御陵を号けて、白鳥の御陵といふ。
しかるに、またそこよりさらに天に翔りて飛び行しき。・・・
 【古事記より】

はじめ、后と子等が作った御陵とは、伊勢の能煩野のことである。次の河内の志幾とは、今の大阪柏原市周辺のこと。こちらを白鳥陵という、と書いている。
景行紀によると、伊勢の能褒野、大和の琴弾原(ことひきはら・御所市)、河内の旧市邑(ふるいちむら・羽曳野市)の三ヵ所を白鳥陵と称したとある。

琴引原白鳥陵

左の看板には、日本武尊白鳥陵、と書かれている。周りは畑と田んぼ。田舎、である。
第六代考安天皇陵から南へ約1km。白鳥陵の東、数100mのところにある山の名前は「国見山」。
訪れる人は他にいない。

小山に向かって畑の中へと進むが、案内板はないのでどこまで進んでいいのかわからない。
たまたま、犬の散歩をしていたおじさんが教えてくれた。この人がいなかったら、拝所までたどりつけなかったかも。

小高い畑を通り抜けて、いったん降りる。そして、また右への細い小道をのぼると見えてきた。蛇が出そう・・・。

  

本当に、せまい所に無理に作ったような。

 日本武尊琴引原白鳥陵の碑

周囲には確かになにもないような所だが、日当たりがよくて「国見」ができそうな場所。
倭建尊が、静かに眠っていそうな・・・。あっ、ここへは立ち寄っただけで眠っていないのかっ。

古市白鳥陵

こちらの古市、大阪府羽曳野市軽里は、わりと都会。ビル、銀行、マンション、飲食店などが駅前に並ぶ。
(私が以前住んでいたところ)

 住宅地の中の御陵

琴引原とはまったく違った周辺環境。そして、こちらの御陵は巨大な前方後円墳。

 

駅前から東に伸びる広い道路を一本南に入って細い道路沿いになるので、それほど騒音はない。

堀の外の一部に歩道がつけられている。

周辺の古墳や神社を訪れるための看板が立てられている。白鳥陵の説明も書かれている。
白鳥に姿を変えた日本武尊が、くがごとく飛び去ったという伝説が、羽曳野の地名の由来。
羽曳野市は、ヤマトタケル伝説で街を盛り上げようとしている。以前、「地域振興券」というのがあったが、このメインキャラクターが「タケルくん」であった(笑)