第十二代 景行天皇

系図 緑字は皇后、青字は次代天皇

※須売伊呂之大中日子は倭健命(小碓命)の曾孫とあるが、これはおかしい。
※倭建命の系譜に、大枝王(大江王)以下の系譜が記される。
※古事記に記したのは上記の二十一王、そして記さなかったのが五十九王いるとある。
※五百木之入日子命は志理都紀斗売と婚姻し、品它真若王が生まれる。この王の娘三人が応神天皇に嫁ぐ。

御陵は山の辺の道の上にあり【古事記より】 宮内庁比定地は天理市渋谷町

この御陵は、巨大な崇神天皇陵の近くにある。付近にもいろいろな古墳があり(黒塚古墳など)史跡めぐりには欠かせないポイント。

とりたてて大きいわけでもない。崇神天皇と比べてしまうからかもしれないが。
拝謁する方が車の多い道路に面していて、開けているが多少騒がしい雰囲気。

景行天皇の記載は系譜がほとんどで、本人よりも息子の倭健のことばかりである。
息子を戦地に追いやった、愛情のない父親のように描かれているが、真実は?
しかし、本当に59人も子供がいたのか・・・?
ともかく、多数の子供がいたなら、一人一人に目をかけたり愛情を注ぐのは無理かもしれない?

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