第二十一代 雄略天皇

系図 緑字は皇后、青字は次代天皇

御陵は河内の多治比の高鸇にあり【古事記より】 宮内庁比定地は大阪府羽曳野市島泉

羽曳野市と藤井寺市のちょうど境くらいにある。この両市は境界が入り組んでいてややこしい。
記紀でたくさん記述があるわりに、御陵はたいして大きくない。
この雄略天皇陵に近い大きなものは仲哀天皇陵だ。

藤井寺インターのすぐ西側にある。堺大和高田線という幹線道路を一本南に入った細い道沿い。
曲がるタイミングを間違えて、少しぐるぐるまわってしまった。

前は畑で、幹線道路まわりの騒がしさとは離れている。しかし車はそれなりに通る道だ。

この御陵、もとは円墳だったらしい。だが「古代の天皇陵は前方後円墳であるべき」という
規範(?)から、東側の方墳をくっつけて、全部を天皇陵にしたとか。なんだか無茶苦茶な。
しかし、もともとが前方後円墳で、いつのまにか前方部と後円部に分かれて、そしてまた
くっつけて・・・という考え方もできる。

いずれにしても、雄略天皇本人がどう思っているやら、である。

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