夏の奈良路

(2003/8/12,13,14)

明日香へ行くのは2月から半年ぶりです。
あいにく雨の日が多かったのですが、雨の明日香・奈良もなかなか良かったです!

飛鳥・斑鳩・奈良

2003年8月12日(火)前日夜行バスで東京を出て、近鉄奈良駅には朝7時に着きました。
すぐに近鉄を南下して明日香入り、ちゅんたさんと雨の明日香を廻りました。
天候は曇り。でも明日香は蒸し暑かったです。
ちゅんたさんとは毎回マニアックな所(飛鳥の秘境や眞弓の辺りなど)ばかり
廻っていて、意外と定番コースを行っていない事に気づきました(笑)

 
大伴夫人の墓
小原の里

まず向かったのは、飛鳥坐神社の脇の道を入った所にある、 大伴夫人の墓です。大伴夫人は藤原鎌足の母で、小原の里は鎌足生誕の地と伝えられています。 小原の里の神社には井戸が二つあります。

飛鳥坐神社
2月の「おんだ祭り」が有名です。 五穀豊穣と子孫繁栄を祈る神事です。 飛鳥の神様は生成・発展・継続という生活の基本をつかさどる神様です。 特に飛鳥坐神社は縁結びの神様として有名です。 神社内の「力石」を持ち上げると幸せになれると言われています。

飛鳥寺
飛鳥寺は崇峻天皇元(588)年、蘇我馬子が発願し、 推古天皇4(596)年に創建された日本初の本格的寺院です。 法興寺・元興寺・などと呼ばれており、現在は真言宗・豊山派・安居院です。
飛鳥寺に着いた時、急に大雨になりました。大化の改新の時は雨が降っていた というので、その光景を思い浮かべてしまいました。飛鳥寺の裏には蘇我入鹿の 首塚があります。昔よりはだいぶ整備されているそうです。

みるく工房・飛鳥
飛鳥へ行ったら絶対に行くのが「みるく工房・飛鳥」です。 m.asukaさんとはほぼ1年ぶりにお会いしました。 今回は初日だったので「飛鳥の蘇」は買いませんでした。 JR奈良駅近くのJAアンテナショップが奈良で唯一「蘇」が買える所なので 最終日に寄って買いました。

石舞台古墳
飛鳥のシンボルとして有名です。古墳の石室が剥き出しになったもので、 30数個の石で出来ています。蘇我馬子の墓といわれています。
明日香の中でも常に観光客がいる場所です。今回の明日香は今までで一番 観光客を見なかったのですが、さすがに石舞台には人が絶えないようです。

天武・持統天皇陵
持統天皇が夫・天武天皇のために1年あまりかけて 造営した八角形墳です。持統天皇は天皇で初めて火葬されました。 被葬者が特定されている数少ない古墳です。

高松塚古墳
1972年の発掘調査で極彩色の壁画が発見されました。その様子から 古墳時代末期の高貴な人の墓であると推測されています。石室は密閉され、壁画は模写模造 されて高松塚壁画館に展示されています。

文武天皇陵
高松塚古墳から南に下った所にあります。藤原京時代の持統・文武も 明日香に御陵があります。

猿石
吉備姫王墓の柵囲いの中に4体の猿石があります。1702(元禄15)年に 欽明天皇陵附近から掘り出されました。7世紀の大陸から伝わった「伎楽」の面や踊りを 表したものではないかと言われています。

法隆寺
世界最古の木造建築として有名です。用明天皇が自らの病気平癒を願って 寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されました。推古天皇と 聖徳太子がご遺願を継いで推古15(607)年に寺と本尊「薬師如来」を造られたのが 法隆寺(斑鳩寺)であると言われています。塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心 とする東院伽藍に分けられています。1993年12月にはユネスコの世界文化遺産のリストに 日本で初めて登録されました。

中宮寺
聖徳太子の母穴穂部間人皇后の御願によって太子の宮居斑鳩宮を中心にして 西の法隆寺と対照的な位置に創建された尼寺です。旧地は、現中宮寺の東方三丁目の所に土壇として 残っています。飛鳥時代の彫刻の最高傑作である有名な本尊如意輪観世音菩薩半跏像は清純な 気品を讃えています。

興福寺
奈良駅周辺は、なら燈花会が行われていました。国宝館・東金堂 が夜間拝観していました。興福寺は藤原鎌足の私邸(山城国宇治郡山階)に建てられた 小堂(山階寺)を起源とされ、天武天皇元(673)年の飛鳥遷都に伴い、大和国高市郡に移って 厩坂寺と称されました。元明天皇和銅3(710)年、平城京遷都の際、藤原不比等は 平城京左京に移し、寺名を興福寺と改めました。その後、不比等の一周忌の養老5(721)年に 北円堂が建てられ、光明皇后や聖武天皇の御願によって大寺院となりました。 東金堂には神亀3(726)年聖武天皇が元正天皇の病気回復を願って造立された 薬師三尊を安置しています。興福寺には金堂が3つあり、東金堂は中金堂より 東に位置する所からこう呼ばれています。国宝館には有名な阿修羅像・山田寺仏頭があります。

なら燈花会
8月6日から15日の19時から22時まで東大寺鏡池・春日大社若宮神社・興福寺参道 などを中心に奈良公園に広がる8つのエリアに12000本以上のろうそくの灯が燈りました。 古都の夜を幻想的に彩っていました。

平城宮跡

奈良市西郊外に広がる平城宮は、1959年から本格的な発掘調査が継続され、地下に広がる 平城宮の姿が明らかになりつつあります。現在発掘は4割程度とのことです。
710年、藤原京から移されてきた平城京は、途中恭仁京や紫香楽宮への遷都時期をのぞいて 784年の長岡京遷都まで日本の政治の中心でした。平城宮の特徴である第一次朝堂院・第二次朝堂院 という名称は遷都の度に位置を変えたためとのことです。
2003年8月13日(水)
近鉄奈良駅から新大宮を通過して大和西大寺の駅に行き、 新大宮へ線路沿いに戻る形で駅から東に向かって約10分歩くと、 平城宮跡に着きます。 平城宮跡資料館の前を通過して「平城宮跡」の散策をしました。 遮るもののない、広大な敷地が広がっていました。
←朱雀門(03/8/13)   朝堂院跡からちょうど朱雀門の門が開いたのが見えました。 平城宮の向こう側の景色が一気に開き、
また古代ここから役人が入ってきたのだと 想像するだけで興奮してしまいました(笑)感動的でした。 平城宮跡資料館ではちょうど展示解説が行われており、 平城宮の詳しい説明を伺うことができました。 資料館の下は馬寮の跡であったとのことです。 平城宮跡では710年から1300年後に当たる2010年を目指して 第一次大極殿を再建していました。

西ノ京

13日の午後は、西ノ京を「歴史の道」をたどって南下していきました。 「歴史の道」には一定の距離で石塚が道の脇にあり、方向が示されています。 まずスタートは秋篠寺、ゴールは薬師寺です。 薬師寺を最後にした(薬師寺から北上するコースの方が定番のようです) 目的は大池からの夕景を見るためでした。 残念ながら夕景までは待てませんでしたが、大池から見る薬師寺の 西塔・東塔は綺麗でした!また8月のこの時期は、秋篠寺・喜光寺などで蓮の花が見ごろでした♪
 
秋篠寺
奈良時代末期、光仁天皇の勅願で創建されました。 天女像である伝技芸天立像は柔和な顔立ちと優美な姿で知られています。
西ノ京は秋篠寺からスタート。寺から南へのびる道を南下していきます。 途中細い道もありますが、石塚があるためほぼ迷わずに行けます。近鉄奈良線の 線路を渡り、しばらく直進すると左方に西大寺が見えてきます。

西大寺
称徳天皇の勅願で奈良時代後期に創建され、一時は東大寺と並ぶ大寺院 「西の大寺」として栄えました。南都七大寺のひとつです。 しかし何度も火災に遭い、大伽藍を焼失しています。現在残るのは東塔の巨大な基壇だけで、 他は江戸時代中期の再建です。

菅原天満宮
「歴史の道」は西大寺から菅原神社への道が長いです。 西大寺から国道308号線に出るまで歩き、阪奈菅原バス停を目指して少しだけ西へ歩き、 バス停前の道を戻る形で入っていくと、右に菅原天満宮・左に喜光寺が見えてきます。
菅原天満宮は、菅原道真を祀っています。道真の母の故郷だったといいます。 道真が産湯につかったとされる池もあります。

喜光寺
奈良時代初期、行基によって開かれた寺です。境内の 本堂は東大寺金堂のモデルになったとする説もあります。

垂仁天皇陵
「歴史の道」をさらに南下すると前方にこんもりした森らしき古墳が見えてきます。 垂仁天皇陵です。 4世紀頃の古墳時代前期のものとされています。全長約227m、後円部径約123mで、 濠の東南に樹木が繁った小島があります。満々と水をたたえた堀に囲まれた前方後円墳です。

唐招提寺
垂仁天皇陵から近鉄橿原線の線路沿いに南下します。途中細い道もあります。 行き止まりを左に曲がり、近鉄橿原線を渡ると唐招提寺です。
唐招提寺は、759(天平宝字3)年、天武天皇の皇子、新田部親王の旧宅地を賜って 創建されました。唐から来朝した鑑真和上の招提〜み仏もとに修業する 人たちの場〜という意味を寺名として掲げています。 「天平の甍」として親しまれている金堂は平成の大修理中でした。

がんこ一徹長屋
西ノ京駅から徒歩5分の所にあります。 奈良の伝統工芸である奈良人形一刀彫り、赤膚焼など6つの工房が軒を連ねていて 職人技を見学したり、お土産選びが楽しめます。残念ながら8月は休館だそうで 見学は出来ませんでした。

薬師寺 西ノ京駅から徒歩約2分です。私は「歴史の道」をたどって唐招提寺から 歩きました。680年、天武天皇により発願され、697年、持統天皇により本尊開眼、文武天皇の御世に飛鳥の地に完成しました。 その後、710年、平城遷都に伴い現在の位置に移されました。 南都七大寺の一つです。東塔の水煙の部分の美しさは”凍れる音楽”と評されています。

薬師寺を出て西ノ京駅の線路を渡り、しばらく歩くと大池があります。
絵葉書でよく見る景色ですが、実際に見てみるとその美しさに驚きます。




←大池から東西両塔を望む(03/8/13)



13日の夜も「なら燈花会」を楽しみました。興福寺から奈良国立博物館を通って東大寺の方向へ行くと、 人出の多さに驚かされました。幾重にも並べられた灯火が幻想的な奈良を作りあげていました。

佐紀・佐保路

14日はあいにくの雨、気温も低い中、佐紀・佐保路を西へ向かって歩きました。
 
北山十八間戸
近鉄奈良駅から青山住宅行きに乗り、 今在家バス停で降ります。バス停から北に向かって上り坂を行くと、 分かれ道の右側に北山十八間戸があります。
北山十八間戸は、鎌倉時代、西大寺の僧、忍性が建てたと言われます。 日本最古の病棟です。

般若寺
北山十八間戸からさらに北上して上り坂を行くと、般若寺に着きます。 コスモス寺として有名です。おみくじもコスモスの種入りでした。 秋に来ればかなり綺麗だと思います!
般若寺は、飛鳥時代に高句麗の僧が創建したと伝えられ、 西大寺の僧、叡尊(えいそん)が復興しました。

奈良豆比古神社
般若寺から北上する道が「歴史の道」です。元明・元正天皇陵へ出る道へ 行く為には、奈良豆比古(ならづひこ)神社の手前の道を左に曲がります。
奈良豆比古神社は、万葉歌人として有名な志貴皇子を祀る神社です。志貴皇子は天智天皇の皇子で、 光仁天皇の父です。光仁天皇即位により、父・志貴皇子は、田原天皇・春日宮天皇と呼ばれます。 その陵は高円山裏の「矢田原」にあります。

元明天皇陵
元正天皇陵

奈良豆比古神社手前の道を西へ真っすぐ行くと、 上下に分かれる道に出ます。上が「歴史の道」です。途中橋を渡り、 そのまま進むとドリームランドに出ます。 途中には基皇太子墓があります。 下の道を行くと 元明・元正天皇陵のある通りに出ます。 奈保山陵バス停から南に下り、左が元明天皇陵・右が元正天皇陵です。

聖武天皇陵
光明皇后陵

奈保山陵バス停から近鉄奈良駅へ向かって南下し、 鴻ノ池の脇の道を入ると聖武天皇陵・光明皇后陵に出ます。

興福院
一条通りを西に向かうと、興福院・不退寺・海龍王寺・法華寺 ・東院庭園が並んでいます。
興福院は、天平時代に創建された尼寺で「こうぶいん」と読みます。

不退寺(業平寺)
平安遷都後、平城天皇がここに萱御所(かやのごしょ)を造営し、 子の阿保親王が引継ぎ、孫の在原業平が寺に改めました。業平自らが聖観音像を刻んで この寺を開基したと言われており、別名「業平寺」と呼ばれています。 住職さんが案内してくださいました。

海龍王寺
731(天平3)年、光明皇后が建立しました。残念ながらお盆休みで境内に 入ることが出来ませんでした。

法華寺
藤原不比等の邸宅を娘の光明皇后が総国分尼寺と して建立しました。いわゆる法華滅罪寺です。 国宝の十一面観音立像は光明皇后がモデルだといわれています。

東院庭園
宴会や儀式が行われた庭園を復元しています。池を中心に展開し、 橋や水面に張り出した露台を配して、日本庭園の原型だといわれています。













←雨の東院庭園(03/8/14)



14日の午後は、近鉄奈良へ戻りました。
《なら和み館》

奈良ホテルバス停前にあるお土産屋さんです。
なら和み館限定の「なら万葉りかちゃん」と大仏Tシャツがあります。

《春日大社中元万燈籠》

春日大社は、和銅3(710)年に平城京の守護神として常陸の鹿島神宮から
武甕槌命を勧請してまつったと いわれる社です。藤原氏の氏神として信仰されています。
参道にある約2000の石燈籠、廻廊の約1000の釣燈籠には 年に2回(8月14/15日と2月3日)に灯が 入ります。
これらの燈籠は平安時代から今まで800年にわたり藤原氏をはじめ 広く一般市民から奉納されたものです。
8月14日は18時半より中門前にて舞楽が、15日は神楽の奉納があります。

14日の夜は、参道の燈籠を辿って春日大社本殿までお参りしてきました。
若宮様1千年限定の提灯を掲げ、夜ならではの幻想的な雰囲気を存分に味わうことが出来ました♪

12日は蒸し暑い明日香、13日は晴れ上がった平城宮跡、14日は雨でしっとりとした元明・元正天皇陵 が印象的でした。
今回は特に夜の奈良という新しい面を見ることが出来ました。 それぞれにとても楽しく充実した旅になりました♪

旅日記へ戻る/ 更新日:2003,8,18