西の狩人・第一章

 また、あの時の事を夢に見た。
 あれから十六年経ったと言うのに、今尚、思い出すと胸が張り裂けてしまいそうになる。
 十六年の歳月は、弱々しい少年であったユージン・クロフトを、一人前の、否、それ以上の名うての<狩人>に変えていた。
 <狩人>として<妖魔>を葬り去る度に、ユージンはこの世の脅威を減らしたような気がして、自分の仕事を誇りに思えた。
 また<妖魔>を退治する事は、ユージンにとっては家族の敵討ちでもあった。<妖魔>を殺す技術を向上させる事は、趣味と実益の一致を見、ユージンの腕は増々磨きがかかった。そして、そんな自分の仕事や使命に、ユージンは毛程の疑問を持つ事もなかった。
 ユージンは生きた人間を喰らう<妖魔>を憎悪している。<妖魔>ではないが、屍体を喰らう<半妖>も嫌悪していたし、何時<妖魔>に変わるか判ったものではない(と、彼は考えている)<貴族>とも、出来れば付き合いたくはなかった。
 しかし、残念ながら<狩人>という職業には<貴族>という特異な能力を持つ者が多く就いていて、付き合わずに済ます訳にはいかなかった。
 これから訪ねる先も<貴族>の家である。
 一個の人格としての彼らは、ユージンにとって良き「仲間」であるのだが、それを「種」で分けた途端に仮称「敵」となってしまう。相手の方が数段「人間」が出来ているので、
「嫌いなものは仕方がないよ。」
 と笑ってくれる。‥‥些か、申し訳が無い気がしないでもない。特に彼ら家族の前だと、頭で考える事と心で思う事が必ずしも一致出来ない、そんな自分が青臭い子供の様で、ユージンは情けないような気持ちになった。

 訪問先へ行くには、目前の森を迂回しなくてはならない。
「あの森には部外者の侵入を拒んで結界が張られているからね、うちに来る時は迂回しろよ。」
 と、「彼」は言っていた。
 ユージンは地図を眺める。‥‥そんなに大きな森ではない、半日で歩けそうだ。夕方には目的地に着くだろう。しかし、迂回するとなると、一日。しかも、途中で野宿せねばならない。正味一日半かかるだろう。
 ユージンには凄腕の<狩人>としての自負があった。若者特有の無鉄砲さもあった。
「行こう。」
 自身に声をかけると、ユージンは森へ踏み込んだ。
 森の入口附近は、街道の煉瓦道が続いていた。森の中では、木漏れ日が優しく輝き、鳥のさえずりが聞こえる。
 二時間程歩いたが、別に妙な所はない。見れば道端には白い筒型の花が群れ咲いている。
「へえ、こんな花、初めて見た。」
 独りつぶやいて、先を進んだ。
 時々、鼠のような生き物が木々の間を走り回っていた。街で見かけるのは鴉と鼠ばかりなので、ユージンは物珍しく見回しながら、歩を進めていた。すると、また、白い花が群れ咲いていた。
 ユージンは水を一口呑もうと、水筒を取り出した。
「痛‥‥。」
 何かの金具で指を傷付けたらしく、白い花にユージンの血が一滴落ちた。
 口を湿らせる程度に水を呑むと、ユージンは再び歩き始めた。この森に入ってから、六時間ぐらい経つのだろうか?もう、半分ぐらいは進んだはずである。また、白い花が咲いていた。
「え?」
 花には、血が一滴付いている。――ユージンの血だ。
 嫌な気分が胸一杯に広がり、ユージンは引き返す事にした。
 ‥‥しかし、
 どれ程歩いても、森から出る事は出来なかった。焦りを感じて駆けてみたが、何故か白い花の所に戻って来ていた。気付けば日は西に傾いている。
 絶望的な気分でその場に座り込み、ふと傍らに目をやれば、そんなユージンを嘲笑うかの様に、干涸びた旅人の死体があった。力尽きたかの様にうつ伏せに倒れたその靴底は、擦り切れて無くなりかけていた。
 ――この不幸な旅人は、一体何日、この森を彷徨ったのであろうか?
 ユージンは「彼」の言葉を素直に聞かなかった自分を恨んだ。

 持っている食糧も無くなり、水も尽き、何日森の中を彷徨い、何度白い花を見たのか、判らなくなったある日、ユージンがふらふらと歩いていると、水の流れる音が聞こえた。
「!」
 もはや、喉の渇きも限界であった。体力も限界に近かった筈だが、渇きを癒したい思いの方が強かったのか、縺れるように音のする方へ駆け出した。
 目の前に、泉があった。
 もはや水しか目に入らないユージンは泉に顔を浸けると、夢中で水を飲み始めた。
「よくぞ生きていられたものですね、<人の姿をしたモノ>よ。」
 声が聞こえた‥‥わけではなく、頭の中に響いた。
「親神様、<人の姿をしたモノ>ではなく、この方は人ですわ。」
 こちらは少女の声である。
「<人の子>よ、お前とコレは違うように感じます。」
「私の父は<貴種>ですもの、‥‥尤も、私は出来損ないのでしかありませんけど。この方は<平民>なのでしょう。」
 喉の渇きが癒え、正常に思考出来るようになったユージンが顔を上げると、目の前には黒い髪の少女と、緑柱石の色をした赤い目の巨大な竜がいた。
「<妖魔>か?!」
 反射的に刀を抜き、ユージンは身構えた。
「その程度の体力で、私と戦うのですか、<人の姿をしたモノ>。」
 竜は哀れむようにユージンを見下ろした。
「それに、私は<魔>の生物と言われた事もありましたが、お前達の言う<妖魔>ではありません。<人の姿をしたモノ>を食したいとは思いません。」
「この方は親神様です。太古からこの森を護って下さっているのです。貴方の狩るべき<妖魔>ではありませんわ。」
 少女が竜を庇うように前に出てきた。
 波打つ緑の黒髪、あの花の様に白いドレスから伸びた四肢はすんなりと細く、大理石の様に白かった。白い顔に、ほんのり上気した頬、深い緑の瞳は長い睫毛に縁取られている。
 ――美しい。
 ユージンは、目前の少女に暫し見蕩れた。
「それにしても、しぶとい事。もう、とっくに死んだと思っていました。」
 と、竜。
「セシリアが森に入る為に結界を解いたのですが、‥‥残念ながら、随分と運がいい<モノ>だこと。」
 ‥‥セシリアというのか。
 別の事に気を取られていて、ユージンは侮辱された事には気付かなかった。
「お前、何処へ行くつもりです?」
「え?あ、ああ‥‥友人のカストールを訪ねて、ディオス領のイーグァン殿の屋敷へ行く途中です。」
「まぁ、兄様のお友達ですか。」
 セシリアがにっこりと微笑んだ。
 ‥‥お友達、微妙な表現だな。
 内心で苦笑しながら、ユージンは無言で頷く。
「では、私が家まで案内致しますわ。親神様、また、今度。」
「ええ、セシリア、必ず。」
 セシリアが前を歩くので、慌ててユージンは付いて行った。
 気になって、後ろを振り返って見たが、竜の姿は何処にも無くなっていた。

「君は‥‥」
 自分の前を歩く少女の背中や、時折振り返った時に見える白い額に目をやりながら、ユージンは口を開いた。
「お兄さんとは違うんだね、‥‥つまり、その。」
「慧眼が開いていないし、翼もない、<貴種>には見えないと仰っているのね。」
 幾分、悲しげに少女は答えた。
「私と兄達とは母が違うのです。私の母は<人>でした。空を飛ぶ事もなく、見えないモノを見る事も出来ない、普通の人間。‥‥私には母の血の方が濃く流れているようですわ。」
「いいじゃありませんか。」
「さあ?」
 暗い目をしてセシリアは笑った。
「母は病弱で、私が小さい時に死んでしまいました。‥‥私も同じ、余りにも弱くて、いつまで命を永らえる事が出来るのだか。」
 ユージンが何と声を掛けようか迷った時、森が終わった。
 目前には繊細な曲線の装飾紋様が施された鋼鉄の門と白い塀があり、その奥に白い壁に瑠璃色の屋根の大きな館があった。ディオス館である。
「どうぞ、お入り下さいな。」
 セシリアが門を開けた。

「やっほう、やっと到着したな<魔箭の射手>!」
 玄関の広間に脚を踏み入れた途端、何処からともなく「彼」が――セシリアの兄のカストールが降って来た。黒い長い巻き毛の長身の男で、二対の上腕を持っている。一対は人間の腕、背面にあるもう一対は、淡い青味がかった灰色の鳥のような翼である。端正な面差しは、古の彫像を思わせる。
「森で迷ってらしたの。」
 セシリアの言葉に、カストールは眉を顰めた。
「つまり、お前さんも森に行っていたと認めたわけだ。」
 明らかにセシリアの表情は失言を悔いている。
「‥‥行って‥‥ましたわ。」
「出歩くと熱を出すから、いけないと言われていた筈だ。」
「‥‥わかってます。」
「おまけに‥‥」とカストールは、ユージンの方も横目で睨みながら続けた。
「『森で』『迷った』だって?俺が『うちに来る時は迂回しろ』と、あれ程注意したのに、お前には聞く耳が無いのか?このあんぽんたん。」
 整った顔からは想像もつかない言い回しで、カストールは腹を立てていた。
「すまない、甘く見ていた。」
「うちの馬鹿なお姫様が家を抜け出してなければ、お前は今頃、干物になってたぞ。」
「干物」という言葉で、ユージンはあの旅人の死体を思い出した。
「感謝感激だったよ、本当に。」
「まぁ、過ぎた事を言っても仕様が無い、どうせ、腹減ってるんだろう?何か食いに食堂へ行こうぜ。」
「感謝感激だ。」
 男二人が食堂の方へ行くのを、セシリアは黙って見ていた。少し熱が出て来たのか、赤い顔をしている。
「お前は部屋に帰って、横になるんだよ。」
 カストールが心配そうに声をかけると、セシリアは黙ったまま、こくんと頷いた。

 二人が食堂に入ると、カストールの双児の弟のフォルクスと兄妹の父イーグァンが立ち上がった。フォルクスは金色の長い直毛と一対の腕、一対の白い翼を持つ、カストールによく似た青年である。イーグァンは黒い長い直毛の男で、見た目は若く、双児と兄弟のように見えるが、カストールの話によると、年齢は百をとうに越えているらしい。腕は一対で、額に慧眼(第三の眼)が開いている。双児は母親似なのかと、ユージンは内心思った。
「ようこそ、我が館へ。」
 深い静かな、それでいてよく通る声でイーグァンが出迎えた。その独特の雰囲気、年齢を重ねた者の持つ威厳がユージンを圧倒した。
「こんな僻地にばかり籠っていると、世の中に疎くなります。色々とお話を伺わせて頂きたい。」
「私の方こそ、僻地ばかりを廻っている<狩人>です。イーグァン殿のお知恵を拝借出来れば有難い。」
「‥‥謙遜合戦。」
 カストールがぼそっと呟いた。

「ここ数年、<魔の手>は出ていません。」
 冷静を装ってはいるが、幾分、悔しげにユージンが言った。
「<妖魔>に変わる<貴族>は時々出現するのですが、奴の噂はもう、何年も聞きません。」
「十六年。」
 と、イーグァン。
「<魔の手>が現われなくなって、十六年になります。」
「‥‥俺の‥‥私の家族が襲われてから‥‥と、云う事になるのでしょうか?」
「私の妻‥‥セシリアの母親が殺されてから、とも言えますな。」
 あの少女の母親も<魔の手>に殺されたのかと、ユージンはセシリアとイーグァンを、少しだけ共感をこめた気持ちで、気の毒に思った。
「何があったのでしょうか?」
「さぁ?可愛い女の子ばかり殺して、少しは後悔したんじゃねぇの?」
 と、カストール。ユージンは軽く無視した。
「<魔の手>は現われなくなったのですが、最近、少し変わった<妖魔>が出ています。」
「変わった?」
 親子がほぼ同時に聞き返した。
「ええ。」と、ユージン。
「普通<妖魔>に変わる<貴族>は、外見は変化する事がなく、嗜好や性格などの内面のみが変化するのですが、外見が変化し始める事によって<妖魔>化する<貴族>が出てきているのです。外見が変化しても<半妖>で留まっている<貴族>もいるのですが、共通するのは、何故か、急に‥‥その、人肉を嗜好するようになるという点ですね。」
「人肉」の処は、さすがに言い難げである。双児は関心を持って、相槌を打ちながら聞いていたが、イーグァンは何かを考えているように黙り込んでいた。暫くして、真剣な面持ちで、ユ−ジンに向き直った。
「‥‥その、外見が変化して<妖魔>や<半妖>になるのは、<貴族>だけなのですか?」
「え?」
「‥‥つまり、その、<平民>と呼ばれている者は、変化しないのだろうか?」
「まさか!‥‥そんな話は、今の処、聞いた事もありませんよ。」
 ユージンは笑って否定したが、フォルクスはぼそりと呟いた。
「聞いた事の有無は、事実の有無とは別ですね。」
 ユージンの背筋に冷たいものが奔っていた。

 
「魔法樹」トップへ