◇弥生のミラクルBOX

 北部九州は弥生文化の開花の先進地であり、その遺物の宝庫とも言える。数多くの遺跡が発掘されてはいるが、予算の都合もあり、まだナゾを秘めたゾーンも多い。そこでこの「ミラクルBOX」では吉野ヶ里遺跡を中心に最近の発掘成果などを報告しましょう。


【巨大かめ棺の復元(吉野ヶ里遺跡)】

 吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓から出土したかめ棺を復元したところ、かめ棺の容積では国内最大であることが佐賀県教委の調査で判明した。

 このかめ棺は「合わせかめ」で、下がめの高さ139センチ、口の外径が101.8センチ、一般的な成人用かめ棺の高さは90センチ前後なので、容積としては1.5〜1.6倍はあるという。



 北墳丘墓は吉野ヶ里の首長かその王族クラスの特殊な身分の人々の墓城と見られており、製作時期は弥生中期半ば(紀元年1世紀後半)ごろ。


【水路の堰の木製くい1,000本(吉野ヶ里)】

 吉野ヶ里ではさる4月ごろから同遺跡南西部の環濠外の一帯約6ヘクタールで「水田跡」の調査を佐賀県教委が続けているが、このほど水を田に導く堰(せき)と見られる木製のくい約1,000本を発見した。

 今回の調査では「すき」「くわ」などの農具数点も発掘されており、堰の発見で 稲作が行なわれていた水田の可能性が一層強まったようである。


【中国の銅貨「貨泉」が出土(吉野ヶ里)】


 佐賀県教委は吉野ヶ里遺跡南西部の弥生時代後期(紀元1世紀半ば〜3世紀半ば)の地層から、中国の「新」時代の(紀元8〜23年)の銅貨「貨泉」1枚が出土したことを明らかにした。

 貨泉は中国の「新」時代を建国した「王莽」が流通させた貨幣で、国内では37ヵ所から計71枚が出土しているが、同遺跡から古代の貨幣が見つかったのは初めて。「中国大陸との交流を物語る貴重な資料」だと県教委は語っている。


【瀬ノ尾遺跡から長粒の炭化米】

 吉野ヶ里の東側に隣接した「瀬ノ尾遺跡」からこのほど「長粒系」の炭化米(弥生中期)が出土したことを佐賀大学農学部和佐野喜久生教授が発見した。 

 炭化米の研究を続けている和佐野教授の調査によると「長粒系の炭化米は吉野ヶ里出土のものが一番大きかったが、瀬ノ尾遺跡の炭化米はそれより更に大きく、徐福伝説で知られる−徐福のふるさと、中国江蘇省連雲港市の焦庄遺跡の長粒系炭化米に近づく大きさである」と言う。

 和佐野教授は朝鮮半島経由の短粒系の炭化米は佐賀県唐津市の菜畑遺跡、福岡市近郊の板付遺跡など玄界灘地域から出土しているが、長粒系の炭化米は有明海沿岸の吉野ヶ里、筑後川水系に集中している。今回の瀬ノ尾遺跡の炭化米は長粒系の分布図を更に補強する大きな意味をもっている。

 いま稲作の伝番(でんぱん)ルートについては、

  • 中国の華北、山東地方から朝鮮半島を経て北部九州(玄界灘方面)に至る「朝鮮半島ルート」(炭化米は短粒系)
  • 中国の長江流域の江南地方から東シナ海を渡って、九州西岸や有明海へ入って来る「江南ルート」(炭化米は長粒系)

この2つの渡来ルートをめぐって考古学者などの間で論争が続いている。和佐野教授は炭化米の短粒、長粒系の中国、韓国、日本3ヵ国の対比調査、分析の結果、二つの「稲の道」が存在したことを炭化米が示していると指摘している。この提言は稲の道をめぐってこんご注目を集めるだろう。

写真提供:佐賀県教育委員会・国営吉野ヶ里歴史公園工事事務所


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(執筆 − 東アジア古代文化研究会  内藤大典)