◇弥生人はどこから来たか?

そのルーツを中国江南に探る

A江南人のほうがスマート

四肢骨の計測=分部哲秋・長崎大医学部講師

(a)四肢骨

北部九州の渡来系弥生人は、江南の春秋〜前漢時代人よりも下肢骨が太く、江南人のほうがややスマートであるが、骨幹の横断面形など、共通性は多い。

また縄文人の大腿骨は前方に「彎曲」しているが、江南人、渡来系弥生人ともに「彎曲」は弱く、この点も重要な共通点である。

(b)推定身長

大腿骨の長さから算出した推定身長は、ひ県劉林の新石器時代人(男2例、平均168.2cm)は黄河流域の新石器時代人に似て著しく高身であるが、常州ウトンの新石器時代人(男6例、平均152.6cm)と春秋〜前漢時代人(男9例、平均165.5cm/女5例、平均152.5cm)はやや低く、北部九州弥生時代人の平均(男162.6cm/女151.3cm)に比較的近い値を示している。

B歯は弥生人のほうが大きい

歯の形態と計測=松村博文・国立科学博物館研究官

縄文人に比べて弥生人の歯は大きい。江南人骨の歯も1部の資料(ひ県梁王城、揚州胡場)では、歯の大きさとの比例が渡来系弥生人に著しく似ている例があったが、現状のサンプルの平均値では弥生人に比べて小さいようである。

今回調査できた江南人骨の頭骨には残念ながら歯の保存されている例が少なかったので、今後サンプル数を増やさねば正確な対比はまだ望むべくもないが、ただ前歯の裏側がシャベル型にえぐれている点などは、渡来系弥生人と共通する特徴がある。

C弥生人と春秋人が同じ祖先

DNA解析=篠田謙一・佐賀医大助教授

江南人骨35体の歯の試料から12体のDNAを抽出し、PCR法で増幅することに成功、解析したデータの塩基配列を「近隣結合法」で比較したのが図2の比較グラフ(系統樹)である。

そのグラフを見ると江南人骨(揚州市−胡場、連運港市−網田童庄など)と北部九州の渡来系弥生人骨(福岡県−隈・西小田)との位置関係は、縄文人に比較すると近い距離にあるように見える。

古人骨DNA分析は国際的にも研究がスタートしてまだ5年程度の歴史であり、日本側・中国側のサンプル数が少ないので、篠田助教授はまだ「作業仮説」であると言っているが、今後サンプル数が増加し、もっと深く分析が進めば、なぜ古人骨の間にこのような変化や共通性が生じた理由(例えばヒトの移動による混血とか)が、DNAの解析から結論が出せるかもしれない……と語っていた。

ここで特記すべきことは、前記した梁王城遺跡の春秋時代末期(紀元前5〜6世紀)の江南人骨2体が、すでに渡来系弥生人と共通の塩基配列を持っていたことであろう。

これは梁王城の人と渡来形の弥生人の先祖が共通である可能性をデータが物語っており、今後の大きな研究課題として注目される貴重な発見である。

D山口調査団長に聞く

(a)共同調査対象の江南人骨

新石器時代 22体 ウトン
春秋戦国時代 11体 梁王城10 儀征1
前漢時代 15体 網田童庄5 陶湾1 胡場7 他2


(b)調査成果の要点

(1)未知の江南地方で調査対象の古人骨が始めて発見された。

(2)江南人骨が頭骨、推定身長などの計測の結果でも、渡来系弥生人に「よく似ている」ことを確認できた。しかもDNA解析、抜歯の風習でも「弥生的要素」の類似が始めて発見されたことである。

(3)これも予期せぬことであったが、すでに弥生人タイプの春秋人が春秋時代末期に誕生していた。これは画期的な発見であった。

(c)稲作民の渡来

稲作民は中国大陸のどこからきたのか?その源郷はどこか?これが私たちの調査団の最大の関心事であった。そのためには「イネのふるさと」である江南地方の古人骨の調査に的を絞ってきた。今回稲作の渡来民の源郷を江南で発見し、その宿題を果たし得たことは学問的にも大きな意義があると思う。

さて、その稲作を日本にもたらした渡来ルートにについては、渡来民の源郷の候補地が黄海をとりまく山東、江南、朝鮮半島の地域に絞られてきたので、これからは考古学、農学など関連部門との学際的研究にまつべき時期に来たと思う。

この稲作民がなぜ故郷を離れねばならなかったか?というテーマも興味深い。これも学際的な課題である。


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