私の明日香ファイル
〜明日香の見どころ、歩きどころ〜



  File No. 018 川原寺跡(弘福寺) かわらでらあと(ぐふくじ)

 明日香村川原

何も知らなければ、ただの公園に見えるかもしれない。
建物跡の大きさを示すために復元された礎石が点々と配置された、極めて平面的な空間である。
さて、ここで歴史的想像力が問われることになる。
バス通りに面した、公園の入口のようになっている部分が南門。ここから北に向かって中央に中門があり、左右に廻廊が伸びる。廻廊に囲まれた部分には右に塔、左に西金堂。正面奥の弘福寺の建物のある場所が中金堂である。さらにその奥には講堂があり、講堂を取り巻く形で三面の僧坊が連なるのである。
ここに立ってこの伽藍を脳裏に浮べられる人は、そうはいないと思う。私?もちろん駄目。
ここに立つたびに、少しは成長してるのかと自分に問うけれど、相変わらずである。
「明日香検定1級」は、まだまだ遠い。

 奈良交通バス川原バス停下車すぐ

 


・創建年代については、敏達朝〜奈良時代の諸説があるが、書紀の記述から天武朝には存在したことは確かと見られる。
・伽藍は川原寺式と呼ばれ、正面に中金堂、手前東に塔、西に西金堂を配置。塔と西金堂が
並ぶ点は法隆寺の配置を東西入れ替えたように見えるが、金堂が南面せず、東の塔と向かい合う点に大きな違いがある。
・中金堂の北に講堂があり、講堂を取り巻く廻廊のような形で三面の僧坊がある。この僧坊の規模は大きく、かなりの数の僧がここに起居していたらしい。飛鳥時代を代表する三寺または四寺に入る大寺であったということを、この点からも窺うことができる。

◆川原寺発掘についての参考書籍 − 岩波書店「飛鳥の寺と国分寺」(古代日本を発掘する−2)