私の明日香ファイル
〜明日香の見どころ、歩きどころ〜



  File No. 022 豊浦寺跡 とゆらでらあと
向原寺(むくはらでら・こうげんじ)

 明日香村豊浦


寺の跡なのか、宮の跡なのか。
ちゃんと話を聞かないとこんがらかってしまいそうである。
蘇我稲目の向原の家→向原寺→物部尾輿の廃仏にあって焼失→推古天皇が宮を置く(豊浦宮)→宮を小墾田に移す→再び寺となる(豊浦寺)
寺となったり、宮となったり、ここは大変に忙しい。
とはいえ、今は訪れる人も少なく、いつも静かである。
無理もない、ほとんどのガイドブックには、ここは載っていないのだから。
しかしここでは、お寺の方に案内を請い、発掘された遺構を見せてもらうことをお奨めする。飛鳥時代の遺構をそのままの姿で見ることができる。
その脇には、須弥山石のお仲間とも思える「文様石」が、何気なく置かれている。
ここは、飛鳥時代を身近に感じられる穴場である。

向原寺から南に20mほど入った民家の間に、「推古天皇豊浦宮跡」の碑と礎石がある。
しかし、礎石は残念ながら豊浦「宮」のものではない。
その頃の宮は柱を地面に掘った穴に直接立てる「掘立式」のはずである。この場所は、どうやら後の豊浦「寺」の塔の跡であるようだ。

 奈良交通バス豊浦バス停下車すぐ

 


・推古天皇が豊浦宮で即位した後に小墾田宮に移り、ここを蘇我馬子が譲り受け豊浦寺を創建した。尼寺であったことから、僧寺である飛鳥寺に対する尼寺としての存在であったと思われる。