私の明日香ファイル
〜明日香の見どころ、歩きどころ〜



  File No. 026 水落遺跡 みずおちいせき

 明日香村飛鳥

中大兄皇子によって、660(斉明6)年に造られた漏刻(水時計)のあった場所と推定されている。
他に例を見ない堅固かつ精密な基礎と構造をもつ建物であったことが、発掘調査の結果明らかにされた。
建物の1階には水時計を据え、2階にあった鐘で時を知らせたと考えられている。
この水落遺跡発掘調査の経過に関しては、岩波書店の「古代日本を発掘する−1・飛鳥藤原の都」や、飛鳥資料館図録「飛鳥の水時計」に詳しく載っている。発掘調査の過程で次々と現れる予想外の結果を検討し、水時計の再現に至るまでが綴られ、関係者の驚きと興奮が伝わってくるかのようである。
普通の楼閣と思われていた柱跡に寺院の塔心礎を思わせるほどの堅固な礎石があったり、突如地中から木樋や導水施設が現れたり、発掘に関わった人々ならずとも、わくわくするような展開である。
復元された建物跡の遺構は、その堅固かつ精密な建物を偲ばせるのにふさわしく、整然とした印象を感じさせるものである。

 奈良交通バス飛鳥バス停下車すぐ

 


・書紀の斉明紀に、「斉明6(660)年、皇太子(中大兄皇子)が初めて漏刻(水時計)を造り、人々に時を知らしむ」とある。
・遺跡の調査では、地中で相互に固定された礎石、漆塗りの木箱、木樋暗渠、細い銅管など、他の遺跡に見られない独特の遺物が多数出土している。