私の明日香ファイル
〜明日香の見どころ、歩きどころ〜



  File No. 036 酒船石遺跡(亀形石造物) さかふねいしいせき

 明日香村岡



舟二百隻で石上山の石を積み、流れのままに下り、宮の東の山に石を積み垣を造る。人夫は三万余り。加えて垣造りに七万余人。― いわゆる「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」、日本書紀斉明紀の記述である。
正直なところ、本気にはしていなかった。ところが、酒船石のある丘一帯の調査により次々と明らかにされる事実は、どれもこの記述を裏付けるものである。
書紀のこの記述自体、何十年も後に書かれたものであるはずだから、この一連の工事はよほど人々の記憶に残っていたものなのだろう。
都が近江にあった期間を除いて、斉明朝から天武朝にかけてこの明日香一帯は繰り返し工事が行なわれていた形跡があるという。事実、飛鳥京跡や飛鳥苑地遺構などの石敷き遺構の出土はあとを立たない。
まさに「石の都」である。
残念ながらこの亀形石造物は文献には見当たらない。
だからこそまた謎を呼び、我々の興味を掻き立ててくれるのではあるが・・・。後の世の人を、これほどまでに悩ませるであろうなどと、これを作った工人は考えもしなかったことだろうが、飛鳥びとも罪なものである。


 奈良交通バス岡天理教前から徒歩5分、飛鳥寺から徒歩5分

 


・酒船石のある丘一帯の十数次にわたる発掘調査で、この丘を巡る石垣や版築による造成の跡が見つかった。
・この一連の調査の中で、丘陵北麓から広い範囲にわたる石敷きと亀形石造物、小判型石造物、さらにこれらの施設に導水するための湧水施設が出土した。