私の明日香・みんなの明日香

その1・じいじさんのページ

旅には、いろいろな思い出があります。
そして今さら言うまでもなく、奈良・明日香は数え切れないほどの思い出を秘めた場所です。
今回は
『巡る・思い出』と題し、じいじさん(HN)の写真とコメントを紹介させていただきます。

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巡る・思い出  − じいじさん(東京都在住)
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【1】明日香の思い出

初めての明日香村は 昭和35年の夏
その2年ほど前から 京都・奈良と 仏像を尋ね歩いていました
人並みに悩みをかかえ 夜行列車に乗り 仏さんに会い 対面しその中で解決する事が
唯一の私に合った方法でした

そんな頃 
案内書に数ページ明日香の事が書いて有りました
深い考えも無く橿原神宮駅へ
バスに乗り 最初に訪れたのが飛鳥寺です

涼しい本堂で大仏さんに会った事ははっきり覚えています
それまでの ととのった顔立の仏さんを見ていた私には
異様の感じ と それでいて近しい人の感じで
こんな田舎に と見直しました

クリックすると、飛鳥の風景が・・・!? 
甘樫丘より飛鳥の集落を望む(左・S44年/右・H12年)

甘樫丘は 夏草のおい茂った細い道を この道で良いのか不安にかられながら登りました
頂上の風景は 何か分からない感動
未だ 万葉も歴史も 何も知識もない私に・・・




甘樫丘より耳成山、天香久山を望む(上・昭和44年/下・H12年)

石舞台
案内書では一番のクライマックスの所も 草ぼうぼう
亀さんも 民家の庭先の感じ
岡寺さんは今もそんなに変化無い感じでした
私の好きな 峠の茶屋も・・・

今 思いかえしてみると当時の明日香村は見た所ただの田舎村
観光も意識してない穏やかな村でした
それ以来
今日まで40年の間に何度も何度も足を運ぶようになりました
何故なのかいまだに原因は解りません

 
蘇我入鹿首塚(左・昭和44年/右・H12年)



【2】家族の思い出

法隆寺にて
   
昭和50年です

写真の親子は当然私達
この二人は後ろの階段を滑り台にして遊び
私を慌てさせました

小学5年の長男と2年生の長女です
    同年 法隆寺の脇道
この頃万葉集を覚えさせましたが
良く覚え何時の間にやら30ばかり
会津八一の 「おほてらの〜」(★1)
ばせうの 「若葉して〜」(★2)
   「逝く秋の〜」 の佐々木信綱の歌(★3)まで

   本人 曰く− あの頃は頭が良かったんだ

(★1) 「おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」 会津八一
(★2) 「若葉して おん目のしづく ぬぐわばや」 松尾芭蕉
(★3) 「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」 佐々木信綱



亀石にて
長女5年生の時
亀石の所に氷水の店が有り何時もここで食べる事を楽しみにしてました
あのおばさんどうして居るのかな
  
今回 峠の茶屋で何時もの食事をして 帰る時
又どうぞと言われ「子供達と来た事が有るのですよ」と返事すると
   そう言われるのが一番嬉しいと言ってくれました


この長男は 娘(私の孫)に「明日香」という名を付けてくれました

長女は 結婚して京都に行き 子供二人のお母さんに
いまは 東京に戻り親子4人で暮らしてます

今回の話で 夏行きたいと言い出しています
やはり親の血をひいているようです



【3】巡る・思い出

写真をクリックすると大きな写真が見れます。


−東大寺二月堂前−
先代の良弁杉です。
後に台風で被害を受け
植え替えられました。
これで一クラス、ここに私が・・・。
1951年(昭和26年)春
東京都北区赤羽中学3年約300名

敗戦間も無い事もあり
全員ではありませんが
出来たばかりの新制中学

校舎も整備されず
一校のテリトリーが広いので
こんなに多い人数でした
当然 子供は多かったのですが


−奈良−
興福寺 を バックに。


−東大寺大仏殿−
ご覧の通り これが全員。
今とどう違いますか?

−京都 清水寺−
良く見て下さい。
山門に支えが・・・。
戦後6年です

−平安神宮前−

今一度読み返してみても 文章はまとまりませんでした
気持ちのみ先走り 何か書き残しもあると思います
沢山の思い出が湧き出し こんな状態になってしまいました

ここには皆さんの知らない時代の奈良・明日香があるかもしれません

そんな時代の奈良・明日香に会えたことは
私にとっては とても幸せなことだと思います

(平成13年5月)


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管理人より

じいじさん、今回は「私の明日香、みんなの明日香」第一弾として取材にご協力いただきありがとうございました。
お借りした写真は30年ほど前の明日香の風景ですね。
確かに、日本の他の地域に比べれば「変わっていない」ようにも思えます。
この景観の維持に努力されてきた多くの方々には、敬意を表したいと思います。
しかし、昔の面影を残すとはいえ、明日香も年々その姿を変えつつあるのが実情です。
細かいところを見ればそれがよくわかります。

変わりゆくのは、避けられないことかもしれません。
しかし、こうやって、世代を超えて語り継ぐことはできます。
すべてを残すことがかなわないのなら、何を残し、何を語り継ぐべきか?
私たちは今一度考えなくてはならないのではないかと思います。

それが、わたしたちの「こころ」や「文化」を支えるささやかな一つの手段なのではないでしょうか?