飛天
法隆寺金堂の飛天図
歴史的位置

本飛天図の歴史的位置を飛天の様式的展開の上に顧ると、この様な飛天の基本的形式はすでに隋末の諸壁---例390、392窟等---に認められ、初唐の貞観期(7世紀第二四半期)頃の諸壁---例322、209窟等---にほぼ完成した姿が作り上げられる。しかし飛天の姿態はその後も変化をとげ、円熟期の則天武后期頃(7世紀末期)の諸壁---例321、334等---には、より自然で躍動的な飛天が象形され、天衣も一段と自由な翻りを見せるようになる。また飛雲の形式においても、隋代のものは輸郭が模糊としている---玉虫厨子絵の雲はこの形式に近似する---が、唐代のものでは輪郭が鮮明となり、いわゆる霊芝雲の形式に整えられ、時代を追って多岐にわたって行く。
敦煌壁画321窟藻井部(則天期)
敦煌壁画321窟藻井部(則天期)


敦煌壁画321窟藻井部(則天期)
敦煌壁画321窟藻井部(則天期)


このような展開の中に本壁画においてみると、その象形の自然さは明らかに中国における貞観期から則天武后期の間、すなわち7世紀後半期頃の飛天の形式を学んでいることは疑いない。

ところで本飛天図の場合、1個の壁面に2体の飛天が、比翼の如く相並んで描かれている点に第1の特色がある。このような例は隋唐期の藻井部周辺の飛天にも例がなく、むしろ同期の浄土図の上部にみられる飛天の構成に学んだのではないかと考えられるが、新来の図象を自家薬籠中のものとした当時の画工の力倆のほどが偲ばれる。

玉虫厨子絵供養図上部飛天
玉虫厨子絵供養図上部飛天


さらに本飛天図のもう一つの形式上の特徴として、一見螺髪風ともみえる髪形に注目しなければならない。飛天の表現は、頂上に宝髷を頂き、あるいは冠帯を結ぶのが一般的であるが、本飛天図にはその何れの形跡も認められない。しかもより熟視すると、その髪形は左右に分けた髪を耳の後から下辺にまで垂下する様を表わす。このような髪形をもつ飛天はあまり類例を見ないが、初唐の敦煌壁画の一例中322、321、331窟等---や、8世紀初頭の西安花塔寺伝来の、石造三尊仏龕の中の飛天などにその例があり、それらをみると奏楽の飛天も含まれ、女子の姿を描いているように思われる。



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