飛天
飛天の誕生
初唐の飛天

龍門万仏洞
図50 龍門万仏洞


龍門古上洞
図51 龍門古上洞


インドヘの旅の途中、玄奘三蔵は敦煌に拍る。石窟の払を礼拝したのであろう。敦煌の最盛期、唐の時代を迎えた西域の洞窟は、これまでにもましで壁面いっぱいに壁画を理めた。倒えば209窟では天井に描かれた箱形の天蓋と釈迦、菩薩の空間は飛天で埋めている。44号窟でも分るが、飛天はすらりと丈が高く、胸を露にし、首から胸へ瓔珞。手には腕釧を通す。また天衣は長く、流動性を強調する。飛天の下には雲が幾重にも重なる。

また321窟では髪をなびかせ降下する飛天を霊芝雲が受止めている。身の丈の2倍以上もある長い天衣を流し、後首にまわる大きな輪は、時代の特徴でもあろう。天衣は長さにそって襞も加わりその先端を拡げたり、うねるなどのアクセントをつけている。また天衣を両足首にも巻き込み、飛翔の度を強めている。龍門石窟(永降元年680年に完工)、万仏洞の千体仏の下に伎楽天がある。

いづれも地上に座したり立つものであるが、偏袒右肩や、上半身裸で長裙など、バラエティがある。頭部は宝髻で天衣は後で大きな頭をつくる。これは、飛天としてはわずかに年代が降りる古上洞では北魏に比べ、ずんぐりむっくりに止り、脚をわずかに曲げて浮いている。手に供養盆を持つもので、飛翔力を強調するものなどがある。顔は丸ぽちや、髪は双髻にし、上半身裸、左の長躰は裾より足を見せる。天衣は肩と手首にまきつかせ大きな輪形となっている。



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