石敷と基壇の発掘

飛鳥の水時計飛鳥の水時計
石敷と基壇の発掘





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飛鳥浄御原宮推定地

水落遺跡は飛鳥小学校の南にあるが、校舎の北は、昭和の初期、万葉研究者である辰己利文氏によって、地下に石敷のあることが知られ、末永雅雄氏か中心となり、発掘調査が行なわれた。この調査は、小規模ながら、飛鳥地方における考古学調査の最初となるが、この地域は、喜田貞吉がその著『帝都』のなかで、飛鳥浄御原宮椎定地としたところであった。調査の結果、人頭大の河原石が散かれた遺構が明らかとなった。その後の飛鳥の調査では、石敷は古代の宮殿遺跡の特徴の一つになっており、現在、その場所に飛鳥浄御原宮の案内板が立っている。村の人々のなかで、学校の奉仕でこの石敷の清掃にいった人は多い。水落遺跡の田圃周囲には、地下に石敷の溝がめぐっており、田植の頃、文字通り水待ちの悪いところであったという。

昭和30年代、奈良県は農業用水の確保のため、南の古野、上津川から新しく用水路を作る工事を行なった。真神原の西にある飛鳥川木の葉堤から北へ分水路が作られ、ミゾオチの田圃の東側にも用水路を通る工事があった。後の発掘調査の結果では、この用水路は、遺構の東溝にあたっていたことが判った。

家屋新築計画が出された「水落」の田圃は、飛鳥浄御原宮推定地として、奈良国立文化財研究所の飛鳥藤原宮跡発掘調査部と橿原考古学研究所の合同で調査が行なわれることになった。高松塚古墳の壁画発見半年後の10月上句、地元の飛鳥、小原、奥山の、人々の協力によって鍬を入れた。調査着手後10日目、西端に設定した調査地から、南北に並んだ花崗岩が見えはしめた。一辺1m弱の大きな石で、溝石か、暗渠の蓋石か、と思えたが、次第にひろがるにつれ3段程の側石が、外開きの逆台形状をした溝石になっていることが判ってきた。その後、南でこの溝と直角になる東西方向の石敷溝が現われ始めた。石を抜き取られているところは、抜き取り穴の底に花崗岩の薄い剥離痕跡が残っていた。飛鳥の花崗岩はやわらかい。この石をとりあげると、一皮を残す場合がある。現場の調査員は、この痕跡に「もなか」というニックネームをつけている。いたるところ「もなかの皮」だらけになった。

掘り出した遺構は、石舞台古墳を一回り小さくした規模の一辺22.5m、17度の傾斜をもつ台形をした基壇で、四周を底幅1.8mの石溝で画している。石溝は東南が高く、西北に向けて低く傾斜していた。基壇上の西寄りで、柱穴状の窪みが南北に4間分、2.8mごとにあることが判った。この窪みには、礎石を安定させる根石らしき石があり、礎石建物の存在が予想されたが、中心部分は家屋予定地で、当時この部分の調査には、着手できなかった。

この発掘では、基壇北東隅付近から、多量の土器やフイゴの羽口が出土しているのに対して、瓦は皆無であった。この調在では、基壇上の重要部分を発掘しておらず、遺構の性格を論ずるには不十分であったが、正方形の基壇上の建物については、飛鳥浄御原宮にかかわる楼閣状の高殿が想定された。しかし、結論は、基壇全面と周辺の発掘調査研究に委ねられた。発掘前、予想もしなかった遺構の出現によって、島田清文さんの新築計画は暗礁に乗り上げた。地主の意向に沿いながら、明日香村の努力によって飛鳥の集落内で代替地が検討され、地主の協力により、この遺跡は保存されることになった。基壇上に新築されていたら、おそらく、水時計遺跡が究明されることはなかったと思われる。飛鳥の遺跡はこわいといわれる所以であろう。

昭和50年、明日香村から文化庁に対して、史跡申請書が出され、文化財保護審議会の討議によって、翌年2月、名称も土地の名前からとって、「史跡飛鳥水落遺跡」として告示され、明日香村によって遺跡地も公有化された。この水落という小字名が、遺跡の性格を表現していることが、発掘の10年後に明らかになる。その後、昭和52年、飛鳥寺の北門の調査によって、寺域の北限が約100m北へ広がることが明らかとなった。これは、水落遺跡の北限とほぼ一致する。したがって、水落遺跡は、飛鳥寺の西にあたり、加えて、石人像、須弥山石の出土地の「石神」は、飛鳥寺の西北隅に接する場所であるので、その後、周辺も含めて永落遺跡を饗宴施設とする解釈などが出された。やがて、明日香村によって、史跡水落遺跡の整備が計画され、それに先立って、基壇上面の発掘が必要となった。丁度この頃、研究者にとって長い間の夢であった、石神遺跡の発掘計画が実現することになる。

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甘橿丘からみた水落遺跡


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西溝発掘風景


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南溝の発掘(もなか)


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西溝実測風景





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