『日本書紀』によると、斉明6年(660)5月、「皇太子が初めて漏剋を造り、人々に時刻を知らせた。」とある。ここでいう皇太子とは、中大兄皇子、すなわち、後の天智天皇のことで、漏剋とは、水時計のことである。漏剋は、漏刻とも書き、それは、一口で言えば、容器内の水位を時間の経過とともに変化させることによって時刻を知る装置である。したがって、正確に時を刻むようにするためには、水位の変化が常に一定であることが必要になってくる。
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