第十一代 垂仁天皇

系図 緑字は皇后、青字は次代天皇

※沙本毘古命・沙本毘売命は、第九代開化天皇の孫
※美知能宇斯王は第九代開化天皇の孫
※氷羽州比売命の姉妹の記載には小異がある。ここでは皇統譜による
※大筒木垂根王は第九代開化天皇の孫
※石衝毘売命(布多遅能伊理毘売命)は後に第十二代景行天皇の子・倭健命の妃となる

御陵は菅原の御立野の中にあり【古事記より】 宮内庁比定地は奈良市尼辻町

唐招提寺の近くに、御陵はある。近鉄尼が辻駅という小さな駅で降り、すぐ近く。
歩いていくと、参拝をする鳥居と反対の方に出る。お堀沿いに、狭い敷石の道が作られている。

この敷石の道を出たところで、小さな鳥居がある。
フェンスで囲い、中の石碑には「菓祖神 田道間守命御塚拝所」とある。

常世の国に、「時じくのかくの木の実」を取りに行った多遅摩毛理のことだ。
御陵で橘をささげ持ち、絶叫慟哭して死んだのだ。
転じて、果物や菓子の神様になったという・・・。

多遅摩毛理の墓は、お堀の中の小さな小島だ。

 左の方にある小島が多遅摩毛理の墓

曇ってきて、まだ4時ぐらいだったのに暗い(-_-;)
これ以上画像を加工するとおかしくなるので、我慢してください・・・。

拝所までの道は両側がお堀(池)になっていて、不思議な感じがする。

 拝所までは距離がある

かなり巨大で立派な御陵だ。日本書紀には垂仁天皇は殉死を禁止、埴輪を代用し始めたとある。

大きさだけでなく、この御陵は美しい。夕映えは格別だろう。

・・・あんまりな画像なので、おまけです。

 

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