春の七草
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草。
遠い昔に覚えた...呪文のように唱えながら覚えた春の七草の名前です。
が、都会育ちのネコは、きちんと区別して春の七草を見たことがありませんでした。

今年も(2005年)春の七草の季節となり、たまたま出かけた某百貨店の「京野菜売り場」で、春の七草のパックを見つけ、「500円、ちょっと高いな」...と思いつつ、購入いたしました。
帰りに寄ったスーパーでは、似たような七草のパックが298円で並んでいました。しまった!(>_<)
京野菜売り場の店員さんから、「6日の夜か7日の朝に、七草がゆを食べる」と聞きました。
ネコんちは、朝食はパンです。いつもは、7日の夜に七草がゆを作っていました。
今年は、6日の夜にしてみよう...と、パックを開けてびっくり!
これまで購入していた生協やスーパーの、色々な草がゴチャゴチャに入っている七草とは明らかに違う!
きちんと七種類がはっきり分かるように、1株ずつ入っていたのです。

しかも、パックの上には産地までが書いてありました。
「京都・七野の七草」とあって、
せり:大原野、なずな:内野、すずな:紫野、ごぎょう:平野、はこべら:嵯峨野、ほとけのざ:蓮台野、すずしろ:北野
と一つずつの産地が載っていたのです。何だかとても有り難げですが、なぜ「七野」??
どうやら、京都に「野」と付く地名は、この七カ所だからということらしいです。

これは、500円高くないかも...洗って、根を切り...刻もうとして、待てよ!
まな板代わりのボードの上にきちんと並べて、写真を撮りました。
ダンナ曰く...病気だ!(^_^;)

ま、世の中にはネコみたいに七草の正体をはっきりと知らない人もいるだろうし...ってことで、今回は春の七草についての解説です。

下の写真が、500円也の「京都・七野の七草」パックの中身です。(これで全部です!...高い?!)(^_^;)
それでは一つ一つ解説していきましょう。
セリ(芹):セリ科セリ属の多年草です。北海道から南西諸島まで広く分布していて、湿地や溝に生育する野草ですが、春の七草としてかなり古くから田畑で栽培されているようです。名前の由来は、新しい株の出る様子が「競り」合っているようだからとか。食用の歴史は古く、古事記や万葉集にも出てきます。煮て食べると神経痛やリュウマチに効くとも言われています。
ナズナ(薺):アブラナ科ナズナ属の1年草です。ぺんぺん草の呼び名の方がなじみのある方が多いかもしれません。この状態では、もちろんぺんぺん草かどうか見分けがつくような花茎はありません。食用や薬用に利用されてきた歴史は古いようで、写真のはロゼット呼ばれる地面に張り付いたような葉っぱでこのような秋に出た新芽を食用にします。薬用には、全草を干したものを用い、煎じて利尿、解熱、止血薬とします。花の写真はこちらへ
ゴギョウ(御形):キク科ハハコグサ属の1年草「ハハコグサ」のことです。本来は「オギョウ」と読むのが正しいと、牧野図鑑には書いてありましたが、金田一京助監修の古語辞典には、「ごぎゃう」として載っていました。
これも、ロゼット状の若葉を食用にします。昔は3月3日の節句に、草餅に入れていました。「母子」を餅に入れて搗くのは良くないと、ヨモギに代わったという話を聞いたことがあります。
花はタバコの代用とされたこともあり、全草を煎じて、咳止めや去淡剤として用いていました。花はこちらへ。
ハコベラ(繁縷):ナデシコ科ハコベ属の1年草です。主に秋に出る若葉を汁物の実やおひたしとして食用にします。葉は、利尿や催乳効果があるとして、民間薬に用いられてきました。花はこちらへ。
ホトケノザ:ホトケノザというと、仏様が坐禅を組んだような花を咲かせるシソ科の花を思い出しますが、シソ科のホトケノザは食用にはなりません。このホトケノザは、キク科ヤブタビラコ属の1年草「タビラコ」なのです。食用にするのは、やはりロゼット状の若葉です。なぜこれがホトケノザと呼ばれているのかは...ちょっと分かりませんでした。宿題です。(^_^;)
スズナ(菘・鈴菜):蕪のことです。中国原産で、日本に入ってきたのは古く、かなり昔から食用に栽培されていたもの。なぜスズナなのか...分かりませんでした。これも宿題。花の写真もありません。m(_ _)m
スズシロ(清白):大根です。これも古くから食用に栽培されています。古語辞典によれば、スズシロというのは、春の七草に用いられる時の名だそうです。という以外分かりませんでした。これも宿題。
さて、それぞれが一応分かったところで(余りよく分からないのもありますが...)、七草とは、のお話を。

昔正月七日に、邪気を払い万病を防ぐためとして、春の新芽の若菜を羮(あつもの)として食べたことによるそうですが、上の七種が春の七草とされるようになったのは、ずっと後のことらしいです。
以下、金田一京助監修の古語辞典からの引用です。

昔、七種(ななくさ)の節句の前日の申の刻又は当日の卯の刻に、七種の菜を俎などに載せ、「七種ナズナ、唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、七草ナズナ手に摘み入れて」等と唱えながら打ち囃し、当日の朝粥として食べた。

この囃し歌は、地方によって少しずつ違ったものが伝えられているようですが、ここに登場する「唐土の鳥」って何でしょう?疫病を運んでくる怪鳥だという説もあるらしいですが...。
では、「日本の鳥」というのは?
唐土の鳥が日本に渡ってきて、日本の鳥が唐土に渡るというような囃し歌もあるようで、疫病を運ぶ鳥が互いに渡らないうちに、ということだという話もあります。

まだまだ謎の多い七草のお話はこの辺で。
解説3「菜の花」へ 解説5「春を待つ その1」へ