其の十九-安康天皇-

安康天皇

御子の穴穂の御子は、石上の穴穂の宮においでになって、天下をお治めになったんや。天皇は、同母の弟大長谷の王子のために、坂本の臣らの祖先の根の臣大日下の王のもとに使いにやって、伝えさせたんやな。

「あんたとこの妹の、若日下の王を、大長谷の王子と結婚させたいと思うんや。せやからたてまつりや」

すると大日下の王は、四回拝んでこう言うた。
「もしかしたら、こないな命令もあるんちゃうかと思てました。それで、〔妹は〕外に出さんと置いておきました。ほんま、恐れおおいですな。ご命令どおり、たてまつりますで」

せやけど、ただ言葉だけで返事するんは失礼やと思って、すぐにその妹の奉り物として、木の形の玉飾りの冠を〔根の臣に〕持たせてたてまつったんやな。
そしたら根の臣は、そのまま贈り物の冠を盗み取って、大日下の王に嘘を言うたんや。

「大日下の王は、ご命令をお受けせずに言われました。
 『わいの妹はな、同族のもんの下敷き(妃)なんかにならんのや』
ておっしゃって、太刀の柄を握って怒ってました」

そこで、天皇はえらく〔大日下王を〕恨んで、大日下の王を殺して、その王の正妻の長田の大郎女を奪って連れてきて、皇后にしたんや。


目弱王の変

この事件の後に、天皇は神をまつる床で昼寝をしてたんや。そうして、その后に言うたんやな。
「お前は、なんか心配事はあるんか」
答えて言うたんや。
「天皇のあついお恵みをいただいて、何の心配事がありますかいな」

ところで、その大后の前の夫〔大日下王〕との子供、目弱(まよわ)の王は七歳やった。この王は、ちょうどその時に御殿の床下で遊んどったんや。
一方、天皇はその幼い王が御殿の下で遊んでるんを知らなくて、大后に言うたんやな。

「わしは、いつも心配なことがあるんや。何かていうと、お前の子の目弱の王が成人したときに、わしがその父親を殺したんを知ったら、心変わりして反逆心を起こすんとちゃうやろか」

ところがその下で遊んでた目弱の王は、このことをすっかり聞いて、そのまま、天皇がお眠りになってる隙をうかがって、そのそばの太刀を取るやいなや、その天皇の首を打ち斬って、都夫良意富美(つぶらおほみ)の家に逃げ入ったんやな。

安康天皇の御年は、五十六歳や。御陵は菅原の伏見の岡にある。


大長谷王の怒り

ここに大長谷の王子はその時、少年だった。そしてこの返事をお聞きになって、憤って怒って、すぐに同母の兄の黒日子の王のところへ到着して申し上げたんや。

「人が天皇を殺したで。どないしょうか」

せやけど、その黒日子の王は驚きもせずにいい加減な気分だったんや。これを見て大長谷の王は、兄を罵って言うたんや。

「一方では天皇で、一方では兄弟やのに、なんで頼もし気もなくて、自分の兄を殺したっちゅうのを聞いて、驚きもせんとぼやっとしとるんじゃ」

て言うて、ただちにその襟首をつかんで引き出して、刀を抜いて〔黒日子王を〕打ち殺してしもた。

また、その兄の白日子の王のところへ行って、状況を告げることは前のとおりだったんや。いい加減なところも黒日子の王と全く同じだった。すぐにその襟首をつかんで引き出して、小治田に着いて、穴を掘って立ったまま埋めたところ、腰を埋めるときになって両眼が飛び出して死んでしもたんや。


目弱王殺害

また〔大長谷王は〕軍を起こして、都夫良意美の家を包囲したんや。そして〔意富美も〕軍を起こして応戦して、射放つ矢は葦の花のように盛んに飛び散ったんや。そこで大長谷の王は、矛を杖にして、その家の中をのぞいて言うたんや。

「わしが言い交わした嬢子は、もしやこの家におるんか」

すると都夫良意美はこの仰せを聞いて、自ら参り出て、身につけた武器をはずして、八度おがんで申し上げたんや。

「先日妻問いなされた娘、訶良比売(からひめ)はさしあげましょう。また、五ヵ所の屯倉をつけて献上します(いわゆる五村の屯倉は今の葛城の五村の園の人々や)。せやけど、その人(私)自身が参上しないわけは、古来より今に至るまでに、臣・連が王の宮に隠れたことは聞きますけど、いまだ王子が臣下の家に隠れこまれたことは聞いたことがありません。こないなことから考えますと、賤しい奴である私、意富美は、力を尽くして戦っても決して勝てるはずはないでしょう。せやけど、私を頼って卑しいこの家に入られた王子は、死んでもお見捨ていたしません」

こう申し上げて、またその武器を取って〔自分の家に〕帰り入って戦うたんや。そして力が尽きて矢も無くなったので、目弱王に〔意富美が〕申し上げて
「私は痛手をすっかり負いました。矢も尽きました。もう今は、戦えません。どう致しましょうか」

王子は答えて
「それやったら、もうどないもしゃあないな。今は、わしを殺してくれ」

そこで、刀でその王子を刺し殺すやいなや、自分の首を切って死んだんや。


忍歯王殺害

この事件の後に、淡海の佐々紀の山の君の祖先、名前は韓袋(からぶくろ)が申し上げたんや。
「淡海の久多綿の蚊屋野は、ぎょうさん鹿がおります。その立つ足は雑木の原のようで、頭に戴いた角は枯松のようです」

このときに、市辺の忍歯の王を伴って淡海においでになって、その野に到着すると、〔二人の王子は〕それぞれ違う仮宮を作ってお泊まりになったんや。そして翌朝、まだ日も上らない暗いうちに、忍歯の王はいつもの気持ちで馬に乗りながら、大長谷の王の仮宮のそばにきて立って、その大長谷の王子お伴の人に仰せになったんや。

「まだお目覚めちがうんか。早よう申し上げよ。夜はすっかり明けたで。猟場においで、て」

と、おっしゃって、そのまま馬を進めて出て行かれたんや。そこで、その大長谷の王のそばに仕えている人が申し上げて
「いやみに物を言う王子でっせ。せやから用心しなはれや。ほいで、身を武装しなはれや」
て申し上げたので〔大長谷王は〕、衣の中に甲をつけて、弓矢を帯びて、馬に乗って出て行かれて、たちまちの間に乗馬のまま進み並んで、矢を抜いてその忍歯の王を射落とすやいなや、また、その体を斬って馬の飼い葉桶に入れて、地面と同じ高さに埋めたんや。


王子たち

そこで、市辺の王の王子たち、意祁(おけ)袁祁(をけ)(二柱や)は、この事件を聞いて逃亡したんや。さて、山代の苅羽井(かりはい)に到着して、食料を食べているときに、顔に入墨をした老人が来て、その食料を奪ったんやな。それでその二人の王は言うたんや。

「乾飯は惜しないわ。それにしてもお前は誰や」
答えて言うには
「わしは、山代の猪甘(ゐかひ)や」

こうして、〔二皇子は〕玖須婆の河を逃げ渡って、針間の国に行かれて、その国の人、名前は志自牟(しじむ)の家にお入りになって、身分を隠して、馬飼い牛飼いとして使われなさったんや。


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