三侠五義・其の弐 包公断案(包公の名裁判)・1

 さて、包拯は家に帰って父母兄嫂に別れを告げると、隠逸村へ行って李家の令嬢との婚儀を済まし、家族一緒に鳳陽府定遠県に赴任した。
 包拯は赴任後、放置されていた案件を詳細に見直した。その中で『沈清伽藍殿僧侶殺人』事件はあやふやな点が多く、召集をかけて直ちに登庁し、沈清を取り調べる事にした。
 程なく、沈清が牢から出されて、公堂(法廷)に連れて来られた。その様子を見れば、年齢の頃は三十前、おどおどしたその様子では、とてもではないが人を殺せはしまい。包拯は問うた。
「沈清、お前は何故人を殺した?有り体に申してみよ!」

 沈清は涙ながらに訴えた。
「親戚の家からの帰りの事でございます。日暮れに雨が降り出して、先へは進めず、仕方がないので古寺で雨宿りする事にし、神像の壇に寄り掛かって夜明けまでおりました。幸い、次の日は晴天で、私が道を歩いていますと、あるお役人が私の背中に血が付いているのを見て、捕まえられたのです。
 そのお役人は私を色々問い詰めると、私めを寺まで引きずって行き、仏像の横で僧侶が殺されて倒れているのを見せ、私が殺したのだと言って、役所に引っ立てて行き、私めを坊主殺しの罪人にしてしました。私めは本当は無実なのです。」
 包拯は暫し考え込んで、沈清を牢に戻すように言い付けると、現場を見に行く為に轎の用意をさせた。その道すがら、包拯は考えていた。
「沈清が僧侶を殺したのなら、身体の前の方に血が付いていないのはおかしいのだが?」
 包拯は古寺に着くと、役人達には外で待つように命じ、包興一人を連れて中に入った。包拯は仏像の周りで上から下まで仔細に観察し、また神壇の前に来ると地面に痕跡を見付けて、心中で思う所があった。

 役所に戻った包拯は、書斎に行くと、当直の役人を呼び出した。
「大工と名の付く者を集めてくれ、大事な用があるのだ、明日朝に来るように必ず伝えよ。」
 翌早朝、役人は大勢の大工を客間に連れて来た。包拯は言った。
「植木棚が入り用になった、それも目新しい形の物が好いな。一人ずつ設計図を描いてくれ、一番良く出来た者に褒美を取らせよう。」
 程なくして、それぞれが自信の一枚を包拯に直接手渡した。包拯はその中の一人を見て尋ねた。
「お前の名は何と申す?」
「手前は呉良と申します。」
 包拯は他の大工達を下がらせてから、呉良を取り調べる為に公堂に連れて来た。包拯は驚堂木を打つと、恫喝した。
「呉良よ、何故僧侶を殺したのだ、有り体に申せ!」

 呉良は濡衣だと言い続け、認めようとはしない。包拯は冷たく笑うと、下役の者に証人として古寺の塑像の仏像を運んで来る様に命じた。
 暫くして、仏像が公堂にに運び込まれた。包拯は自分の席を立つと、正面に置かれた仏像に近寄り、何やら像と話し合っている様子である。公堂の外の野次馬達は、それを見て笑いを堪え切れなかった。
 包拯は振り返って呉良を指差し恫喝した。
「呉良よ、たった今、仏像が私に証言したぞ、お前はあの日凶行の時に、像の背中に印しを残しておいたとな。お前の左手を出してみるがいい!」
 役人は呉良を仏像の所へ引きずって行き、その左手を掴んだ。見ればその六本指の手の形は、仏像の背中の印しと少しの違いも無い。これには呉良も色を失った。

 包拯は墨壷を一つ取出すと、居並ぶ人々に向かって言った。
「これは私が寺へ行った時に現場にあった物だ。呉良よ、これが証拠だ、潔く白状せい!」
 呉良は腰を抜かし、もはや白状するしかない。
「元々私めと寺の和尚とは知り合いでございまして、よく一緒に酒を飲んでおりました。あの日、酔っ払った和尚は、二十両余りの銀子を仏像の頭の中に隠してあると話したのです。
 私めはそれを聞いて悪心が起こり、和尚が酔っている間に殺してしまい、銀を奪おうと思いました。しかしながら、普段から斧で木を伐る事には慣れておりますが、人を伐った事はございません。最初に振り下ろした斧では殺せず、和尚は斧を取り上げようとしました。
 私めは慌てて、必死に和尚を押さえ付け、何度も斧を振るって殺してしまうと、血塗れの両手のまま、仏像の後に廻って頭から銀子を取出しましたので、血糊の手形を残してしまったのでしょう。」

 包拯は事件の真相を明らかにすると、呉良に供述書に署名させ、刑具を付けて、監獄に押し入れた。また沈清は無罪と発布し、役所は銀十両を渡して釈放した。堂外の民衆は、皆賞賛を惜しまなかった。
 この後も、包拯は民が安心出来るよう、公平に法を執行し、道理を通して幾多の事件を裁き、この地の悪人を厳重に処罰した。その為に、包拯の名声は大いに振い、人々から深く慕われ、「包公」と称えられた。
 程なくして、丞相の王荳に推薦された包公は、金鑾殿で仁宗皇帝に謁見を許され、竜図閣大学士に昇進し、京師の開封府の府尹を兼任する事となった。仁宗はまた、陳州の難民救済の実情について調べ、併せて、民情に沿って正しく実行するよう命じた。
 包公は跪いて奏上した。
「私には権勢がないので、人は私に従わず、御命に沿う事は難しいでしょう。」
 それを聞くと仁宗は三枚の札を与えた。包公は感謝してそれを頂いた。

 包公は人を呼んで、龍、虎、狗の形ををした三種類の大きな押斬りの図を描かせて、仁宗に奏上した。
「私は陛下の御恩を頂戴し、三枚の札を賜り、それにより私は三つの押斬りを造らせました。もし法を犯す者があれば、その者の位階身分に応じて刑を執行致します事を、お許し願いとう存じます。」
 仁宗は快く承知した。
 包拯は礼を述べると、轎に乗って退廷した。丁度街の中に差しかかった時、訴訟状を手にした十数名の老人が、轎の前で跪くと、冤罪を叫んだ。
 包公は担ぎ手に止まるよう言い、老人達の差し出した訴状を見れば、京師のほうきつ太師の息子で安楽侯のほういくを告訴した物であり、難民救済の命を受けた陳州でのほういくの悪行の数々について書かれている。
 包公は包興を呼んで、何やら耳打ちし、次の瞬間には顔を下に向けて訴状をビリビリと破り裂いて、地面に投げ捨て、老人達を罵った。
「狡猾い奴らめ!人騒がせな、こんな奴らは場外に放り出してしまえ。」

 老人達は悔し涙にくれた。
「我らが辛苦を厭わず、京師に来たのも冤罪を晴らし雪辱せんが為。あの方さえもが権勢に媚び諂うとは!」
 包公は気付かないうちに轎を返すと、開封府に戻るように命じた。
 老人達が泣き泣き町外れにやって来ると、そこに馬に乗って駆け付けた人がいる、包興である。包興は老人達に言った。
「府尹様は訴状を拒んだ訳ではないのだ、町中では人の目もあり耳もあり、事が漏れて、却って悪い結果になるのだ。府尹様が出発なさるのを待って、貴方達もそれに付いて行きなさい。」
 一同これを聞いて大喜び。包興はその中の二人の老人に付いて来るように言うと、こっそりと開封府に入れ、老人達は陳州の様子を包公に詳しく話した。
 何日かが過ぎ、三台の押斬りが出来上がった。包公は随行の武士に、押斬りも陳州へ運ぶように命じた。多くの同僚が郊外まで見送りに来た。訴えに来た老人達は随行の人数に紛れ込んでいた。

【閑話休題・4】 他の案件等
烏盆 このテキストでは「墨斗」の話でしたが、別の本では「烏盆(黒おまる)」の話でした。(右)
 本当は「烏盆」の後、包拯は一度罷免されるのですが、滞在中の大相国寺で丞相の王きに出会い、皇帝に推薦されるのです。
 罷免中に土竜崗で王朝、馬漢、張龍、趙虎の四勇士と知己になり、復職後、大相国寺の和尚の推薦で公孫策が開封府にやって来て、包拯に認められるあたりの話が皆カットされておりまして、四勇士や公孫策のファンはかなり不服でしょう。
 公孫策に至っては、三台の押斬りまで発明したのに、かなり本人も不満だと思います。
 包拯の奥さんの実家から派遣された李保は、包拯が罷免された時に金を盗んで逃げ、後に強盗して捕らえられ、包公に裁かれます。その時、傍らで七品官の衣装の包興と自分の後任の李才の姿を見て、自らを後悔します。「陰陽交錯(男女入れ替わり)」の話の中にあるのですが、これもカットされています。
「首」の話なんかもかなり面白いのですが、それもカット!ただ、こちらは中公文庫の武田泰淳の「十三妹」に載ってますので、興味のある方、そちらをどうぞ。


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