三侠五義・其の弐 包公断案(包公の名裁判)・2
 

 さて、金龍寺で包公と包興を救い出し、二人の悪僧を殺害した後、南侠展昭は人助けをしながら、放浪生活を続けていた。
 ある日、展昭は道中で、老いも若きもお互いを支えあい、涙にくれる、見るも悲惨な避難民達に遇った。
 展昭が事情を尋ねると、人々はその苦しみを話した。
「わしらは陳州の良民ですが、ほういくが陳州に来てからというもの、民を救済するどころか、良家の婦女を攫って来ては自分の妾とし、また人を捕まえては自分の庭園を造る人足にするので、わしらは生活していけません。」

 それを聞いた展昭は、怒り心頭、急いで陳州へ駆けると大通りに出てみた。
 道々尋ね歩いて、展昭は陳州でほういくが居住している皇族の庭園に着いた。周囲を一通り偵察して、すぐ近くに宿をとった。
 夜更けて、忍び装束に着替えた展昭は、身を翻して園内に飛び入った。
 微かに泣き声がするので、そちらの方へ行くと、着いたのは離れの楼閣である。窓の隙間から覗き見ると、一人の若く美しい女が、手足を縛られて閉じ込められていた。

 展昭は女を救い出そうとした時、突然、派手に化粧した軽薄な形の男が、家来達に囲まれ、門を押し入って来た。
 その男は家来が捧げ持った絹や首飾りを取ると、女の近くにやって来て誘い掛けた。
「別嬪さん、ねぇ、素直に私のモノになってくれれば、贅沢な暮らしが出来るんだよ。」
 しかし、女は大いに罵った。
「お前は単なる強盗ではありませんか!私は死んでもお前のモノにはなりません。」
 男は女の両頬を平手で打ち、罵った。
「この阿媽め、お前が言う事を聞かないなら、聞かせる迄だ!」
 男が手を振り上げた時、召使の女が慌ただしくやって来た。
「太守の蒋完様が、大事な用件があるので侯爵様にお会いしたいそうでございます。」

 派手な男は件のほういくだったのである。ほういくはこんな夜更けに太守直々にやって来るとは、何か重大な用件に違いないと思い、女を脅した。
「やい阿媽、痛い目に遭いたくなければ、私が戻って来た時には、強情を張るのを止めるんだな。」
 展昭がこっそりとほういくの後を付けて行くと、やがて軟紅堂に着き、中では太守の蒋完が待ちわびていた。蒋完はほういくに挨拶すると、慌てて話した。
「私めが知った処によると、皇上は救済事業の実情を調べる為に、特に包公を遣わされたそうです。侯爵様には急いで体裁を整えられる準備をすべきでしょう。」
 ほういくはそうは考えなかった。
「包黒子は私の父の門下だぞ、敢えてその私に手を出したりはせんだろう。」
 太守はほういくを諌めた。
「聞けば、包公は権勢を畏れず、陛下から賜った三台の押斬りを持っております、気を付けてしかるべきでしょう。」

 それを聞いたほういくは、心中の恐れを隠せなかった。
「どうしたらいいだろう?」
 太守は計略を献じた。
「この事は軽視すべきではありませんな、包公を殺してしまう以外に方法はないでしょう。」
 それを聞いてほういくは思う処があった。
「私の手の者の中に項福という、武芸に秀でた勇士がおるのだ、その者を呼んで相談しようではないか。」
 ほういくは家来の福に項福を呼んで来させると、天昌鎮で待ち伏せして、機を見て包公を暗殺するように命じた。項福は答えた。
「私めは侯爵様から大恩を頂戴している身です、例え火の中水の中と言えど、御命令に背いたりは致しません。」
 展昭は、官府に戻る太守について去って行く項福を見て、思わず心の中で罵倒した。
「権勢に尾を振る狗め!私がいつも貴様の行動を見張っててやるからな。」

 次の日、項福を尾行している展昭は、安平鎮のある酒楼に立ち寄る事となった。展昭は少しばかり酒肴を注文すると、食事をしながら項福の様子を見張っていた。
 暫くして、一人の若い眉目秀麗な武芸者が店に入って来た。見るなり、項福は慌てて立ち上がり、美青年に声をかけた。
「白玉堂様、お久し振りです、またお目にかかれて嬉しゅうございます。」
 二人は一緒の席に着くと、食事をしながら歓談している。その会話から、項福は元々拳棒使いの膏薬売りで、大道芸の最中に人と争い、誤って殺して訴えられたのを、白玉堂の兄が手を尽くしたお蔭で助けられた、と云う事が展昭にも分かった。

 白玉堂はまた、項福の近況を尋ねたので、項福が答えた。
「兄上様に救われ、路銀まで頂戴し、上京して功成り名を上げる様にお言葉を頂きました。運良くも旅の途中で、太師の御子息で安楽侯のほういく様に巡り会いまして、ほういく様の元で働いております。丁度今も重要な用件を任されて‥‥」
 白玉堂は項福の話を最後まで聞かず、怒りも露わに言った。
「君がほういくの手の者になったと言うのなら、僕は哀悼の辞を捧げるよ。」
 白玉堂は出て行こうと腰を上げた。
 その時、二人連れが店に入って来た。後ろの老人の方は、先に入った地主の隠居風の人物が腰を下ろしたのを見て、両膝を折って跪き、必死に何かを頼み込んでいる。

 白玉堂はこの様子を見て、前に出て事情を尋ねた処、老人が借金を返済出来ないので、隠居が老人の娘を抵当とするよう強要したという事である。玉堂は隠居に向かって言った。
「この人は幾ら借りたのだ?」
 隠居は答えた。
「元は五両だったが、三年分の利子が付いて、合わせて三十五両だ。」
 白玉堂は懐から三十五両の銀子を取出すと卓上に放り投げ、隠居の手から借り証文を取り上げ、それを細かく引き裂くと、老人に向かって言った。
「今後はこんな高利貸からは、金を借りたりするんじゃないよ。」
 老人は感謝感激の余りに、何度も叩頭した。
 この光景を目の当たりにした展昭は、心中大いに不満だった。隠居が出て行ってから、店の給仕に尋ねた処、あの隠居は苗家集に住む苗秀と言う者で、息子の苗恒義が太守の側近として仕えているのを笠に着て、近隣の人々を無下に扱い、高い利子を取っているのだと言う。

 包公が天昌鎮に到着する迄まだ間があると考えた展昭は、先に苗家集へ足を延ばして、苗秀めの目に物を見せてやろうと決心した。その夜、忍び装束に着替えると、展昭は苗秀の家に忍び込んだ。
 家の中から苗恒義が得意げに話しているの盗み聞けば、
「今日、太守はわしに三百両の銀子を渡されて、侯爵様が奪い取った金銀宝石の入った箱や、攫って来た金玉仙って女を、船で京師の太師様の所まで運んでおく様に言われたのです。京師の太師様の所へ行けば船賃を払って下さるから、わしはこの銀子をこっそり頂ける訳ですよ。」
 それを聞いた展昭は、腹の虫が納まらず思案を巡らしていた。
「この犬畜生のろくでなし父子め、何とかその銀子を奪い取ってやらねば。」
 その時、だしぬけに、遠からぬ処に身を翻す黒い影が一つあった、その容貌を見るに、昼間酒店で見た白玉堂の様である。
「さては銀子を取り返しに来たのかな?」
 展昭は全てを覚って、可笑しくなった。その時、女中が慌てふためいて走って来た。
「旦那様、大変です、お部屋にいらっしゃった大奥様が、突然いなくなってしまいました。」

 それを聞いて苗秀父子は驚き、大慌てして捜しに行った。無人となった隙に乗じた展昭が窓から飛び込み、卓上の銀子の包みを三つ取り、思った。
「幾つかはあの白玉堂に置いて行こう、彼は昼間の利息分も頂くべきだ。」
 まんまと抜け出した展昭が奥の間の方へ忍び来た時、そこでは人々が床下から老夫人を引っ張り出している最中だった。老夫人は雁字搦めに縛り上げられ、丸めた布で口を塞がれていた。
 苗秀は夫人の縄を解き、突然、「あっ」と叫んだ。
「急いで表の間の銀子を見に行かねば、わしらは賊の仕掛けた調虎離山の計に引っ掛かってしまった!」
 後を付けて表の間の窓の下まで来た展昭は、予想通りに卓上にあった銀子が持ち去られているのを確認した。痛快に思ってほくそ笑み、夜陰に紛れて、今度は本当に天昌鎮へと走り去った。

【閑話休題・5】 白玉堂登場!
 ファンの皆様お待たせ致しました、白玉堂ついに登場です!
 関係ありませんが、「白玉堂」と出る度に「白玉屋栄寿」の「三室最中」を思い出すのは私だけでしょうか?
 このテキスト、どうも子供向けの様で、余忠の性別の時にもそうでしたが、教育上よろしくないと思われる箇所は改編されておりますようです。‥‥別にいいと思うのですが。
 そんな訳で、今回もカットされた箇所をチェックします。
・田起元の災難
  ほういくに攫われた美女は田起元の妻の金玉仙です。
  その誘拐の経緯を、展昭は召使の田忠の妻の楊氏から聞きます。
  金玉仙は媚薬を飲まされそうになりますが、展昭の気転により救われます。
  間違えて媚薬を飲んだ医者の妻の話が、結構楽しいです。
  
田起元夫妻は、其の七でまた登場します。
・思わず見とれる展昭
  玉堂の登場シーン、原作では店に入って来た玉堂の姿に、
  「思わず盃を置いて、心中で喝采し、またつらつら眺めれば、
  羨む程の好人物。」
  とあります。まるで一目惚れ。
・残虐!白玉堂
  苗秀の妻が急に行方不明になるシーンですが、ここは完全に変えられています。
  原作では、苗秀の妻は厠で玉堂に捕らえられ、口に布を詰められた上、
  両耳を削がれてしまうのです。うひ〜、残虐!
  原作のこのシーンは、白玉堂の人間性を表しているので、出来ればカットして
  欲しくはありませんでした。後の丁ちょうけいの台詞や、蒋平が繰り返し言う
  台詞への伏線になっているからです。
【おまけ】
・調虎離山の計
  「虎を山から離す」
  つまり、敵を陣より誘き出して、その機に乗じて攻略する事。

 今回も、金烏工房さんで色々助けて頂きました。その内容はいずれ、このコーナーで‥‥。さとうしんさま、師走さま、二階堂善弘様有難うございました。


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