三侠五義・其の参 南侠献技南侠の天覧演武)・2

 丁ちょうけいは展昭を振り返った。
「昨日貴方と出会った事を兄に伝えた処、兄は是非にお会いしたいので、我が家にお出で頂けないかと申しております。」
「私には幸い休暇が残っています、折角の御招待を、どうしてお断り出来ましょう!」
 展昭がそう答えたので、一同は船に乗り、松江府へと漕ぎ出した。
 船中で展昭は丁二をからかった。
「賢弟は母君の命で参拝に来たという事ですが、周老人にお金を貸してしまって、大丈夫だったのですか?それとも、また火を吹き消してお金を借りたんですか?」
 丁二は訝しんで尋ねた。
「展大哥、何のお話でしょう?」
 展昭が昨夜見ていた事を話したので、二人は大笑いした。
 話がはずむうちに船が停泊した。二人が岸に上がって、林の中の小径を通り、庄院に着くと、大勢の下男に囲まれた壮漢が、門口に立って出迎えた。
 その人物は丁ちょうけいと瓜二つの容貌なので、展昭は内心で大層驚いた。男が自己紹介するに、名は丁兆蘭、この家の主人で、丁二とは双児の兄弟である。

 展昭は腰の宝剣を外すと、小者に預け、兄弟二人に案内されて客間に通された。兆蘭は茶や水の用意を言い付けると、丁寧にもてなした。
 席に着いた丁氏兄弟は、展昭に度々包公を助けた時の事や、御上から四品官職を授けられた時の事などを尋ねると、頼み事をした。
「展昭兄の武芸は群を抜いて素晴しいとの事、どうかここで剣舞の模範演技をして、我々の目を開けてくれませんか?」
 展昭は断る事も出来ず、宝剣を受け取ると、その場で演技を始めた。剣からは冷たい光が閃き、上下に翻り、恰も稲妻が走る様で、丁氏兄弟は何度も感嘆の声を上げた。
 暫しの間演技を行っていた展昭は、脚を止めて、拱手の礼をして言った。
「拙い技で、お二人のお目を汚してしまいました。」

 ちょうけいは展昭の宝剣を受け取ると、鑑定しながら、感嘆した。
「展兄は剣術が群を抜いているだけではなく、お持ちの剣も稀代の宝ですね、これは『巨闕』ではありませんか?」
 展昭は笑って言った。
「賢弟の眼力は大したものだ!」
 丁二は小者に命じて一振りの宝剣を持って来させると、それを展昭に手渡して、尋ねた。
「大哥ご覧下さい、この剣は父の遺品なのですが、私にはその銘が判りません。是非御教示下さいませんか?」
 展昭は心中で考えた。
「この丁二は本当にやんちゃ者だな、どうしても私を困らせたいらしい。」
 展昭は剣を受け取ると、指で弾いたり、裏表と返したりすると、称賛した。
「実に好い剣だ!これは『湛盧』ではありませんか?」
 丁二は堪え切れずに賞賛した。
「大哥の眼は確かだ!」
 剣について論じていると、女中がやって来て言った。
「老夫人がいらっしゃいました。」
 展昭はそれを聞いて、急いで衣服の乱れを整えた。

 老夫人は展昭の様子を細かく観察すると、大層満足して、頻りに展昭の事を「甥」と呼び掛けた。丁二はこの様子を見て、母も妹の月華と展昭を妻合わせる事に同意したのだと悟り、急いで妹の部屋へと走った。
 妹の月華は丁度部屋で裁縫をしていた。丁二は妹を怒らせようとして言った。
「今日来ているのは南侠の展昭なんだが、噂通りに人品卑しからず腕も立つ、だが才高ければ自ずから傲慢になるで、湛盧の宝剣とお前の事を話にもならないと言うんだ。」
 月華はそれを聞くと声を荒げた。
「ではこの妹が目に物を見せて差し上げましてよ。」
 丁二はしめしめと思って、急いで客間に行くと、丁母に耳打ちした。
「妹は展昭と仕合するそうです。」
 そう言うや否や、ぷりぷり怒った月華がやって来たので、展昭は慌てて立ち上がって礼をした。
 月華が上着を脱ぎ捨てると、一層艶やかで愛くるしい。月華は宝剣を抱き、展昭に仕合を申し込んだ。
「展大哥に御教授願いとうございます。」
 展昭は断る訳にも行かず、仕方なく袍を手挟み袖を捲り上げ、月華と対峙した。

 二人は準備の構えから仕合を始めた。展昭は令嬢の剣術の筋が好いのに、内心感心していた。
 何合か打ち合って、展昭はわざと隙を作って、引き上げた剣を内側へ突くと、すぐさま引き戻した。剣の閃光に連れて、月華の身に付けていた小さい何かが地面に落ちてころころと転がった。
 月華はハッとしたが、急いで避けると「窓を推して月を追う」の型から、展昭の頭巾を剥ぎ取った。
 南侠は身を低くして圏外に跳び出すと、月華に礼をした。
「お嬢様の剣術は実に素晴しい、私の負けです、参りました。」
 月華は剣を収め、展昭に返礼すると、踵を返して部屋へ戻って行った。
 丁兆蘭は先刻妹が落とした物を拾うと、喊声を上げた。
「展大哥、貴方がさっき切り落とした妹の耳飾りです、この仕合は妹の負けですよ。」
 展昭は髪を直し頭巾を整えながら何度も賞賛した。
「御令妹の剣術は本当に大したものです。」

 丁母は展昭に向かって言った。
「あの娘は私の姪で、夫の弟夫婦がこの世を去ってから、わが子同様に育てて参りました。この度、あの娘を怒らせて貴方様と剣の仕合で顔合わせさせたのは、貴方様との良縁を結ばんが為だったのですが、如何でございましょうか?」
 丁氏兄弟も傍らから一所懸命に取り持ち役を勤めていた。
 展昭は月華の物腰の端麗さや、その武芸の程を見て、想う処がなくもなかったので、すぐさま快諾した。展昭は丁母と兄弟に拝礼し、婚約の証しとして、「巨闕」と「湛盧」の二つの剣を交換した。
 丁ちょうけいが耳飾りを掌に載せ、巨闕の剣を手に下げて妹の寝室へやって来ると、月華は丁度身の周りの何かを探している処であった。丁二は笑いながら言った。
「妹よ、耳飾りならここにあるよ。お前の湛盧の剣なら嫁ぎ先に行ってしまったよ。」
 言い終わると、剣をおいて、ニヤニヤ笑いながら逃げ去った。

 展昭が茉花村に逗留して三日経ったので、次の日の朝に出立すると暇を告げた。丁氏兄弟も仕方なく承諾し、裏山の望江亭で湖の景色を眺めながら送別の宴を催した。
 湖は果てしなく拡がり、紺碧の波がさざめき、行き交う船は絶ゆる事もない。三人は景色と酒をを楽しみながら、周囲を逍遥していた。
 丁度そんな時、一人の漁師が慌ただしくやって来て、丁氏兄弟に何事かを耳打ちした。
 丁二は全部を聞き終わる前に跳び出して来て怒鳴った。
「そりゃ、ひどい!そいつを呼んで来て僕に会わせてみな!」
 傍らの展昭は気を使って言った。
「お二方、何かあったのですか?」

 丁二が答えた。
「この近くの陥空島に盧家庄という庄がありまして、そこの主人の盧方は穏やかな善人で、人々から尊敬されています。棹に登る事が得意なので、鑽天鼠と呼ばれています。盧方は四人の友と義兄弟の契りを結び、五義と称しています。盧方を長兄として、次兄が徹地鼠と呼ばれている韓彰、三兄が穿山鼠と呼ばれる徐慶、四兄は蒋平と謂う名で、水練の技に長けている処から翻江鼠と呼ばれ、末弟は白玉堂と謂う名で、よく謀を使い、錦毛鼠と呼ばれています。」
 展昭が口を挿んだ。
「その錦毛鼠の白玉堂なら以前に見かけた事があります、また会いたいと思っていたのです。」
 その時、手を押さえた漁師が呻きながらやって来た。
 漁師は亭に上がると、地の滴る手を伸ばして言った。
「あの盧家庄の奴めがわしらの漁船から魚を奪い、わしらが止めようとすると、魚を奪うだけでなく、わしの指四本を切り落としやがりました。」

 三人は話を聞き終わると、急いで高台からおりて、庄院の前にやって来た。船溜りには既に大勢が集まって、武器を手にする者があれば、拳を摩って待つ者もいる。
 丁氏兄弟の指揮の許、一同を乗せた船は、威風堂々と陥空島へ向かった。
 船団が蘆花蕩附近に差しかかると、正面を別の船団が遮った。先頭の船の舳先に立った人物は、凶暴な狼のごとき容貌で、手に七叉のやすを持ち、戦いの機会を伺っているように見える。
 丁兆蘭は口を開いた。
「我々は昔から決まりとして、蘆花蕩を境界としていた筈だ。何故お前は蕩を越えて魚を奪い、その上我らの仲間の漁師を傷付けた?」
 男は答えた。
「境界だとか何だとか、俺達ゃ気にしねぇのさ!文句があるなら、腕で勝負だ!」

 丁兆蘭は怒りを堪えて続けた。
「お前は何という名だ?お前の主人はいないのか?」
「旦那は俺を分水獣のとう彪と呼んでいる、俺の主人はいないぜ、今では俺様が主人って訳だ。」
 言うや、やすを挙げて刺そうと身構えた。
 丁兆蘭が腰の剣に手を懸けた時、とう彪は
「うわっ」
 と一声叫んで、ひっくり返って水に落ちた。
 漁師が水に入ってとう彪を捕まえると、丁二の船に引き渡した。とう彪は喚いた。
「暗器を使って人を傷つけるたぁ、それでも好漢かよ。」
 丁二は手に小さな鉄の弾を握って呵々大笑した。
 とう彪の眉間に大きな瘤が出来ているのを見て、展昭は怒鳴った。
「捕らえられておきながら、何を喚いている!ちょっと尋ねたいのだが、お前の処の五番目の旦那は白と言うのか?」
 とう彪は答えた。
「あの方なら、数日前に御猫を捜しに東京に上られた。」
 そう聞いた展昭は、焦らずにはいられなかった。

 丁度その時、一艘の小舟が遠くの方から飛ぶ様にやって来た。舳先に立った堂々たる体躯の大男が、声高に呼び掛けた。
「丁家の賢弟、私、盧方に免じて、この者の監督不行届きを許してもらえるのなら、どんな償いでも致しましょう。」
 丁氏兄弟は拱手の礼をした。
「これは盧兄。」
とう彪は新しく入れたばかりの頭目なので、決まりを守らなかった事については、お二方の処置に任せます。」
 盧方の頼みに丁兆蘭は言った。
「知らなかったのならば、咎める事はありますまい。」
 そしてとう彪を放すように命じた。
 盧方はとう彪に奪った魚網などの物を全て返すように言い付けた。双方の和解が成立すると、各々の庄院へと戻った。

 庄院に戻ると展昭は丁氏兄弟に言った。
「白玉堂は私を捜しに上京したそうです、願わくばお二方には船を用意して頂き、大至急私を家まで送っては貰えますまいか。」
 これ以上引き止められないと思った丁氏兄弟は、展昭の為に送別の宴を催した。
 展昭は丁氏兄弟に別れを告げると、大急ぎで帰郷した。
 ある夜、展昭が楡の林を通りかかった時、林の中から叫び声が聞こえた。
「助けてくれ!強盗だ!」
 月の光がさしたので、展昭は林の中から一人の老人が走り出てくるのを見付けた。
 展昭は大急ぎで近付くと、老人に言った。
「しばらく隠れていなさい、私が何とかするから。」
 言うなり、傍らで待ち伏せした。
 その人物は前の人間を追う事に気を取られていたので、差し出された展昭の足には気付かず、ドスンと音を立てて躓くと、腹這いに倒れ込んだ。

 男は立ち上がろうとする処を、展昭に押さえ付けられ、腰帯で固く縛り付けられた。老人は木の陰から出て来ると、何度も展昭に礼を述べた。
 老人の話に寄ると、老人の名は顔福と云って、楡林村に住んでおり、老人の若い主人が上京して親戚の家へ身を寄せる為、主の友人宅へ銀子を借りに行き、その夜のうちに急いで戻る処を、林の中で通行料を取ろうとする輩に遭ってしまったと言う事である。
 展昭は男を林の中に留めておくと、老人に付き添ってその家の門口まで送っていった。
 顔福は中でお茶でもと展昭に勧めたが、展昭は笑って言った。
「私は道を急いでいるのです。」
 言い終わると、大股に、遇傑村へと去って行った。
 その後の話は、次の『顔生蒙冤』をご覧下さい。

【閑話休題・9】 『巨闕』と『湛盧』
 今回登場した「巨闕(きょけつ)」と「湛盧(たんろ)」は春秋時代の名剣の名前です。
 呉越地方や楚では優秀な剣が数多く作られ、伝説の名剣の工匠として名を残しているのが、呉の干将(かんしょう)、越の風胡子(ふうこし)、楚の欧治子(おうやし)です。
「巨闕(きょけつ)」と「湛盧(たんろ)」は欧冶子の作で、他に「純鈞(じゅんきん)」「豪曹(ごうそう)」「魚腸(ぎょちょう)」があります。
 以下は「金烏工房」のさとうしんさんの御説明です。いつも有難うございます。

 どちらも干将・莫邪などと同じく、呉越に伝わる名剣のようです。『呉越春秋』巻四闔廬内伝・『越絶書』巻十一外伝記宝剣などに名前が出て来ます。
 この二書の内容をまとめると、どちらも欧冶子が作った名剣で、巨闕は越王句践の所有する五つの宝剣のうちの一つとされています。
 湛盧は当初、魚腸などともに呉王闔廬が所有していましたが、闔廬が無道なのを憎んで、呉を去って楚に向かい、(どうも剣に意思があるようです。)最終的に楚の昭王のものになったとのこと。
『荀子』性悪篇では「桓公之スオ,太公之闕,文王之録,莊君之〓,闔閭之干將、莫邪、鉅闕、辟閭,此皆古之良劍也。」とあり、ここでは闔廬が鉅闕を所有したことになっています。


 補足説明になりますが、呉王闔廬(こうりょ)は「魚腸」を刺客の専緒(せんしょ)に使わせて、王僚を暗殺し、王位に就きました。闔廬は後に越王句践(こうせん)に破れて死にますが、その息子夫差(ふさ)が句践を破り、句践が臥薪嘗胆して夫差を破ります。
 呉王闔廬の家来には、兵法書「孫子」で有名な孫武や伍子胥がいます。句践が夫差に送ったのが、「顰みに倣う」で有名な美女(傾国)西施です。
 干将・莫邪は魯迅の「古事新編」の「鋳剣」や、「捜神記」の「眉間尺」に登場する雌雄の剣です。
 伍子胥の話は「史記」の「伍子胥列伝」等にありますが、非常にドラマティックな生涯です。


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