三侠五義・其の参 南侠献技南侠の天覧演武)・1

 三星鎮では陰から包公を助けて項福を捉え、金玉仙を救い出し、ほういくの不正の財を取り戻した南侠展昭は、相変わらず富者の財を奪ってはそれを貧しきに与え、彼方此方で義侠を働いていた。
 ある日、京師開封にやって来た展昭は、包公が新しく丞相に任じられたと聞き、大変嬉しく思って、開封相府へ包公に会いに出掛けた。
 展昭の来訪を知った包公は、自ら府中に迎えると、盛大にもてなした。
 かつて助けてもらった恩を返したくもあり、包公は何日か泊まっていく様に展昭を引き止めた。二人は政治や武芸について語り合っては、意気投合していた。

 包公は展昭の才能の又とない事を思い、朝廷に参内の折、仁宗に展昭の事を話した。
「彼には三つの特技がございます。その一が剣術に精通している事、その二が百発百中の袖箭の腕前、その三が軒を飛び壁を走る神業でございます。かかる才能は、朝廷の御為と成りましょう。」
 聞き終えた仁宗は手を打って喜んだ。
「朕は予てより武芸の達人を捜しておった。今、卿より聞いた話は、朕の意に適うておる。その者を参内させ、朕自ら耀武楼にて武芸の腕前を試したい。」
 包公は開封府に戻ると、宮中に招待された事を展昭に話した。展昭は内心気が進まなかったが、包公が既に承知してしまったとあっては仕方がなく、渋々引き受けた。
 翌朝、包公は展昭に付き添って金鑾殿にて天子に挨拶した。仁宗は展昭の並々ならぬ容貌や、落ち着いた動作物腰を見て、まず嬉しく思った。

 仁宗が文武の官と耀武楼に行き、席に着くと、その場にて展昭の武芸を天覧する事になった。展昭は宝剣を受け取ると、開門の型から始めた。
 展昭の手の中で上下に翻る宝剣の、その目まぐるしい動きに見物人の目は眩んだ。その剣術の削ぐ、斬り伏せる、叩き割る、廻す、突き上げる、跳ねる、突く等の技のどれ一つとして優れざるものは無く、人々は思わず声を揃えて喝采した。
 展昭は全身全霊で演武を行い、納めの型で終えたが、顔色は先刻と変わらず、息一つ切らしてはいない。仁宗は大いに喜んで、包公に向かって言った。
「今度は袖箭の腕前を見せて貰おうか?」

 包公は、白い紙を貼付けた木の札を持った者を呼び、仁宗に朱筆で幾つか点を打ってもらうと、何十歩か離れた場所に立てた。
 展昭は元の場所に立ち、遠くの札の上の紅い点に狙いを定め、懐から袖箭を取り出すと、手を振り上げて発射した。袖箭の矢は弦から放たれたかの様に札に向かって飛んだ。
 仁宗が札を確認すれば、紅い点から少しも外れることなく袖箭が命中していた。仁宗は驚きの余りに声を上げた。
「まさに神業だ!」
 包公は、仁宗や大臣達に耀武楼の上の階に行って、今度は展昭の軒を飛び壁を走る神業の観覧を願った。

 展昭は精神を集中させると、地面を何歩か歩き回り、身を縮めたかと思うと、まるで雲中の燕の様に飛ぶと、五階の高閣の上に軽々と上がっていた。
 展昭は高閣の上に立つと、柱を掴んで身体を逆様にし、太腿で柱を挟むと、サッサッサッと逆様のまま柱を登りだした。
 柱の一番上に着くと、左手で垂木を掴み、左脚を柱に巻付けて、身体を宙に浮かせ、右手を上げると、「猿が海を探る」の型を作った。それを見た仁宗や大臣達は、何度も拍手して褒め称えた。
 展昭は脚を緩めると、素早く跳び上がり、今度は屋根の上の飾りの上に立った。それを見て仁宗は思わず叫んだ。
「すごい!人間技とは思えぬ、まるで朕の御猫ではないか。」
 仁宗は展昭の演武を見終わると、金鑾殿に戻ってすぐに、
「展昭を御前四品帯刀護衛に任じ、丞相府勤務を命ずる。」
 と、宣旨を出した。包公は展昭と共に、仁宗へ感謝の叩頭の礼をした。

 こうして、展昭は丞相府にて一所懸命に働き、包公から深い賞賛を得る事となった。
 数カ月過ぎたある日、展昭の家から手紙が来て、老母が病の為に起き上がれなくなったと知らせた。展昭は直ちに包公から休暇を貰うと、母に会う為故郷に帰った。
 展昭は供も付けず、馬を止める事もなく、真直ぐ常州府武進県遇傑村へと奔った。
 慌ただしく家に着いたが、老母の魂は西方浄土に旅立った後であった。展昭は柩に縋り付くと、天に叫び地に伏して、嘆き悲しんだ。
 展昭は厚い礼で以って老母の出棺と埋葬を済ませ、喪に服した。百日の喪が明けると、杭州の友人に会うと言って、家の者や親戚に別れを告げた。

 杭州は西湖に着いた展昭は、馬から下りて歩いて断橋亭にやって来ると、茶を注文し、風光明媚な景色と茶を楽しんでいた。水煙にけぶる広々とした湖面を眺めていると、いつしか気分も爽快になって来た。
 展昭が上機嫌で景色を眺めていると、遠くの堤防から一人の老人が湖に飛び込んだ。驚いて展昭は叫んだ。
「ああ、いかん!人が水に落ちた!」
 しかし展昭は泳ぎが出来ないので、亭の中で地団駄を踏むより外になす術がなかった。その時、湖に浮かんでいた一艘の小舟が、矢が飛ぶが如くに、老人が落ちた辺り目指してやって来た。
 小舟は老人の落ちた場所に着くと、船上から若い漁師が飛び込んだ。間もなく、漁師は老人の身体を掴んで、水面に浮かんで来た。

 展昭が亭から下りて来た時、漁師は老人を岸に引き上げ、水を吐かせながら、何度も呼び掛けていた。
「爺さん、爺さん、大丈夫かい?」
 老人は息を吹き返すと、嘆いた。
「何でわしを助けなさった?わしはもう、生きてはいけませんのじゃ。」
 漁師は笑って尋ねた。
「爺さん訳があるなら話してみなよ。もし本当に生きていけないんなら、僕がまた水に放り込んでもいいんだぜ?」
 漁師の言葉に周囲は大笑いをした。
 老人は嘆き悲しんで話し出した。
「わしは周増といって、以前は茶楼を開いておりました。三年前の大雪の日に、店の前に行き倒れがおったんで、気の毒に思って、家に運ばせましたのじゃ。熱い生姜湯を飲ませると、その男は息を吹き返しました。」

「男は鄭新と名乗り、父母は供に無く、又兄弟もおらず、身代を潰してしまったものの、身を寄せる親戚とてなく、寒さと飢えで行倒れたと話しました。わしは鄭新が可哀想になって、店で雇う事にしましたのじゃ。鄭新は読み書き勘定が出来、よう働きました。それで、わしは娘と結婚させました。
 じゃが、去年わしの娘が死んで、王家の娘を後添えに貰ってからというもの、鄭新は「周家茶楼」の名を「鄭家茶楼」に変え、わしを蔑ろにし始めたのですじゃ。
 そんな事が色々ありましてな、奴らはとうとう、わしを店から追い出すと言い出したのですじゃ。わしはあんまり腹が立ったんで、県の役所に訴えたのじゃが、奴らは先に役人に賄賂を贈っておったようで、逆にわしが二十棒喰ろうてしまいました。腹も立ちますし悔しくもありますが、もう、死ぬより外にありませんのですじゃ。」

 話を聞いた漁師は笑って言った。
「爺さん、まさか幽霊になって化けて出てやるって言うんじゃないよね?いいかい、もう一度周家茶楼を開店して、奴をイライラさせてやろうよ。」
 老人は苦笑した。
「爺にはびた一文ありゃあしません、どうやって茶楼を開くと言うのですじゃ?」
 漁師は笑って言った。
「まあ、そう慌てなさんな、茶楼を開くなら、幾ら位いるんだい?」
「少なくとも三百両はいるかのう。」
「高々三百両、すぐに用意できるさ。」
 そこに展昭が進み出て言った。
「周老人、この兄さんがこう言った以上は、嘘ではなかろう、安心なさい。」
 漁師は銀子の包みを取り出すと、老人に手渡した。
「当座の衣食の足しにするといいよ。明日の正午、ここで待ってておくれ。」
 周老人は大層感激して、小舟が岸から離れて行くのを見送りながら、何度も叩頭して礼を述べた。

 展昭は老人に鄭家茶楼の場所を聞くと、出入口や道筋を調べに出掛けた。そう遠くへ行かないうちに、茶楼の幔幕をはためかせた高い建物が見えて来た。正面に来てそれが鄭家茶楼だと分かった。
 展昭は店に入ると、階上の席につき、給仕を呼んでお茶とお茶請けを注文すると、茶を飲みながら、給仕に店主の様子を尋ねた。給仕は一つ一つに答えた。
 その時、階段から足音が聞こえて、一人の公子が上がって来た。艶やかな衣服を身に付け、垢抜けて整った容貌のその青年は、展昭の向い側に座った。
 展昭はその顔に見覚えがある気がして、よく見れば、周老人を救ったあの漁師ではないか!慌てて立ち上がり、拱手の礼をすると、お互いの姓名を名乗りあった。青年は松江府は茉花村に住む、人呼んで双侠の丁二官こと、丁ちょうけいと名乗った。

 丁二は驚き、且つ喜んだ。
「久しく南侠の御高名は伺っておりました。この度、四品帯刀護衛の職に就かれたそうで、おめでとうございます。」
 展昭は首を横に振った。
「貴君、その話は止めましょう、私としては実に不本意なのです。包閣下の誠意がなければ、私はさっさと官を辞して隠遁しますよ。」
 展昭は酒肴を注文した。二人が楽しく飲んでいると、小者がやって来て、丁二旦那にすぐ帰ってくる様に伝えた。二人は仕方なく別れを惜しんだ。
 展昭は近くに安宿を探し、夜更けまで休むと、宝剣を佩き、こっそり宿を出て、鄭家茶楼の裏側にやって来ると、上の階に飛び上がった。
 窓の隙間から中の様子を見ると、丁度、鄭新夫婦が当日の売上げを数えている所であった。
「老いぼれは追い出したけれど、きっとどこかで訴えるわよ、どうするの?」
 婦人の言葉に鄭新が答えた。
「役所にはもう賄賂を贈ってあるよ、大丈夫さ。」

 二人は数え終わった銀子を戸棚にしまうと、女中に下で酒の用意をしてくる様に言い付けた。女中は下に降りてすぐ、驚きの声をあげて階上に戻って来た。
「旦那様、奥様、下の階から火が出ています!」
 鄭新夫婦は大慌てで階下に降りた。
 無人となった室内に、展昭が銀を取りに行こうと思った時、見れば丁二が疾風の様に室内に入っていた。丁二は真直ぐ戸棚に向かうと、中の銀子を全て頂いている。
 丁二が出て行こうと振り返った時、階段の方から足音がした。丁二は急いで灯りを吹き消すと、窓の外へと飛び出した。見ていた展昭は、内心で拍手喝采した。
「この丁二官って人は、実に見事なお手並みだ!」

 宿に戻った展昭が昼まで休んで、断橋亭に赴くと、周老人は既にそこで待っていた。展昭は老人の側に寄って呼び掛けた。
「御老人、待たせましたな、あの漁師はまだですか?」
「来たよ!」
 声のする方を見れば、小者を連れた丁二が亭に上がって来ていた。丁二は展昭に呼び掛けてから、周老人の方に向き直った。
「店を開く場所は探してあるの?手伝いはいるのかい?」
 丁二の質問に老人は一つ一つ答えた。
 丁二は小者に包みを開けさせると、中から銀子を取り出し、老人に手渡して言った。
「ここに全部で四百二十両ある、茶楼の開店資金には充分だろう。うちの小者を置いて行くから、料理の手助けをさせるといいよ、どうだい?」
 老人は感謝感激して、叩頭した。
 丁二と展昭は慌てて老人を起こした。
「今度の店では、人に屋号を変えさせるような事はするんじゃないよ。」
 丁二の言葉に老人は何度も頷いた。
「もう決して、決して変えません。」
 言い終わると、老人は大喜びして、小者と一緒に去って行った。

【閑話休題・8】 袖箭(ちゅうせん)って何?
 今回は展昭愛用の暗器(隠し武器)袖箭について解説致します。参考資料は新紀元社の「武器と防具 中国編」です。
 袖箭とは、バネを使って短い矢を発射する筒状の発射器です。袖の中に隠して使うのでこう名付けられた様です。
 有効射程距離は約100m。銅、または鉄で出来た筒を使います。筒の長さは26cm程度、直径は2.6cm程度で、その中に鋼のバネを仕込みます。矢は竹の節のない部分を使い、長さは23cm、太さは太い箸程度に加工し、先端に鋼鉄製の鏃をつけます。
 単発式の物の他に、連発可能なものもあり、2〜9筒の物があります。連発式は明代に開発されたそうです。
 袖箭は筒にあらかじめ装填しておいた矢以外にも、予備の矢を用意しておくのが基本で、6連発の物でしたら、6本ワンセットで、全部で3セット持っておくそうです。そのうち1セットは装填済にしておきます。
 ↓が袖箭です。


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