三侠五義・其の弐 包公断案(包公の名裁判)・4

 ある日、包公は地方官の範宗華に命じて、道中の民情を調べに行かせ、草州橋の天斉廟で足を休めることにした。間もなく、範宗華は盲目の婦人を連れて廟にやって来た。
 婦人は包公の前まで連れて来られると、
「包卿がこちらに来られたと聞いたので、妾は冤罪を訴えます。側の者に下がるよう言っておくれ。」
 と言った。その言葉使いを不思議に思った包公は、側の者に暫し下がるよう命じた。
 婦人が涙を流して訴えたのは、彼女が現在の皇上の生母である事、宮中での事件の事、総管の秦鳳のお蔭で難を逃れてこの地に来た事である。秦鳳が焼け死んだ後は、秦家にも居られなくなり、壊れた窯場で一人暮らしていた。
 それを聞いた包公は大層驚き、身を起こして尋ねた。
「何か証拠の品はございませんか?」
 婦人は襟元を広げると、隠しの中から小さな布包みを取出して包公に手渡した。

 包公が包みを解くと、黄色い緞子に包まれた一個の金丸が現れた、そこには「玉辰宮」の文字と李妃の名号が刻まれており、正に証拠の品。急いで李妃を助けて上座につかせると、両膝を付いて礼をして宝物を返した。
「李妃様御安心下さい、この件は臣が尽力致します。ただ、事が漏れて、騒ぎになってはいけませんので、暫しの間、李妃様は私の母と云う事に致しますが宜しいでしょうか?」
 包公の言葉に李妃は頷いた。
「包卿の善き様に。」
 包公は陳州救済の仕事を終えると、李妃を護る様に付き添って一緒に開封府へ帰った。
 包公夫人の李氏は李妃の身の上を知って、その側を離れず、心を込めて仕え、李妃の目を治す医者を探した。

 次の日、包公が皇帝に謁見し、陳州救済の調査の件を奏上していると、太師のほうきつが逆に詰問した。
「包拯よ、貴様は刑具を濫用し、勝手に安楽侯を斬死させたと、何故奏上せぬのじゃ。」
 包公は泰然自若として、袖の中からほういくの供述書を取り出すと、ほういくの犯したあらゆる罪状を読み上げた。金鑾殿上の大臣達は水を打った様である。包公は色を正して言った。
ほういくの罪は数多く、臣が法に則って御
さつを使ったのは、至極当然の事です。」
 包公は振り返るとほうきつを詰問した。
ほう太師、御身は国丈として君主を輔け、綱紀を粛正されるお立場でございましょう。それが何故に、法に背く息子を放っておかれ、善悪を逆様に、是非を混同されるのです?」
 ほう太師は大いに慌てた。
「包拯、貴様言い掛かりをつける気か!」

 包公は冷ややかに笑うと、金銀財宝の入った幾つかの箱を殿中に運び込ませて言った。
「これはほういくほう太師に献上するつもりだった不正の品で、太師の指図でほうきつ邸に運ばれる処でしたが、幸いにも私が途中で差し押さえてしまいました。」
 金鑾殿上は騒然となった。
 仁宗皇帝はほういくの供述書を見、没収された不正の財を目の当りにし、ほうきつを厳しく叱ると、三年間の俸録の停止を命じた。
 また、包公の公平無私で正直な仕事ぶりを大いに褒めると、特に褒美として、五爪蠎袍を一枚、攅珠宝帯を一本、四喜白玉班指を一つ授けた。

 包公は退朝すると、秘かに陳林を探し出し、例の金丸を取り出し、李妃の事を尋ねた。金丸を目の当りにした陳林は、雨の様に流れ出す涙を堪える事が出来なかった。
 李妃の健在を知って、悲しみが喜びに変わった陳林は、ある計画を考えた。
「南清宮の狄后様は人間が正直で、その上、猫と太子の摺り替えの一件も御存じでいらっしゃいます。閣下は今度の狄后様のお誕生日祝いの機会に、李妃様をお連れして、閣下の母親と申し上げて、御祝いに南清宮に行かれてはどうでしょう。」
 包公は府に戻ると、直ちにこの事を李妃に話した。李妃は喜ぶやら悲しむやらで、顔を覆って泣くので、包公夫妻は懸命に慰めた。
 しばらく泣いていた李妃が目をこすると、不思議な事に、見えなかった両目が見える様になっていた。包公夫妻の喜びはこの上なかった。

 狄后の誕生日祝いの日となり、包公は李妃に付き添って、母子の身分で南清宮に御祝いにやって来た。
 狄后は李妃に手を貸すと、包公の事を頻りに褒めた。
「夫人のお躾がよろしかったのでしょう、包拯は社稷を支え、君を補ける真の賢臣です。」
 祝寿の宴が終わると、狄后は宮中に泊まるよう李妃を引き止めた。二人だけで四方山話などをしていると、李妃は泣きたいのを堪えられなくなった。
「姐上、貴女は妾を見知らぬ訳ではありますまいに。」

 狄后はその言葉に大層驚き、李妃の事を注意深く見詰めると、驚きを隠せずに叫んだ。
「夫人は李后様ですの?」
 泣いて声にならない李妃は、狄后に金丸を手渡した。
 狄后はそれを受け取ると、灯りの下で確認し、急いで金丸を返すと、跪いて叩頭した。
「臣妃は李后様のお出でを知らず、無礼の段、お許し下さい。」
 李妃は急いで狄后をたすけ起こした。
「姐上、顔を上げて下さい、どうすればお上にお知らせ出来るのでしょうか。」
 狄后は礼を述べた。
「李后様、御安心下さい。私が仮病を使い、寧総菅に知らせに行ってもらえば、お上はきっと自らお出でになるでしょう、その時直接お話になれましょう。」

 翌朝早く、狄后は病気で起き上がれなくなったと、直ちに寧総菅を遣ってお上に報告させた。お上は朝議を終えると、その話を聞くなり陳林を呼び出して、一緒に狄后のお見舞いに駆け付けた。
 狄后は仁宗を見るや、身を起こして尋ねた。
「陛下、世の中で最も大切な事とは何でしょうか?」
「孝に過ぐるものはありません。」
 仁宗の答に、狄后は嘆いた。
「人の子として、その母の生死存亡を知らぬ者は、果たして孝子と言えるのでしょうか?」
 そう叱りつけると、帳の中から一つの黄色の匣を手渡した。
 それを受け取った仁宗が開けてみると、中には先帝の親筆が記された竜袱が入っていた。仁宗は狄后にこの品物の由来を尋ねようとした時、ふと見れば、傍らの陳林は顔を覆って泣いており、ひどく訝しく思われた。
 狄后は仁宗に、これは生まれたばかりの仁宗が身に付けていた物だと話した。そして、郭槐と劉妃の謀により李妃が陥れられ、太子の摺り替えが行われた事を一つ一つ話した。聞き終えた仁宗は、愕然となった。
「それでは、朕の母君は何処におわすのでしょうか?」

 正にその時、屏風の蔭から一人の悲し気な婦人が現れた。その面影にどこか見覚えがある様な気がして、仁宗は茫然と見詰めていた。
 それは正に生母の李妃であった。李妃は仁宗を見詰めるが、涙で言葉にならないので金丸を手渡した。受け取って仁宗は、それが劉后の物と同じ品で、只、上面に刻まれた文字が「玉辰宮李妃」の名号であるのを確認した。
 仁宗はがっくりと両の膝をつき、涙を流した。
「朕は何たる親不孝者でしょう、母君を苦しめておりました!」
 李妃は嘆く仁宗を抱きしめた。狄后や陳林らは皆跪いて涙を流した。
 母と子は暫し感慨に耽っていたが、仁宗は狄后、陳林、そして太后を一人一人助け起こした。
「母君がこのように苦しんでおられていたとは、朕は天下や文武の百官に対して何の面目がありましょうや。」
 そう言う仁宗に狄后が言った。
「郭槐のその罪は逃れ難いものです、この件は包拯に裁いて貰う事にしましょう。」

 仁宗は宮中に戻って親書を書き上げると、きっちりと封をして、郭槐と陳林に一緒に開封府へ行って読み上げて来る様に命じた。二人は命を受けて開封府へ走った。
 包公は丁度堂で仕事をしており、郭、陳の二人が聖旨を持って来たのを目にすると、急いで表に出て迎えた。
 郭槐はあろうにも自ら封を切って開けると読み上げた。
「皇帝陛下の御命を承り申し上げる。『此処にいます太監の郭‥‥』」
 親書に自分の名を見付けた郭槐は、続きを読み上げられなくなってしまった。
 それを見た陳林は、書状を取り上げると、その続きの郭槐が謀を弄して、李妃に多くの罪を擦り付けて迫害した罪状により、開封府に引き渡し、厳しく取り調べる旨を読み上げた。
 包公は聖旨を受け取ると、左右の者に命じて郭槐の衣冠を剥ぎ取らせ、その場で審理を始めた。

 郭槐は劉后という後ろ楯を頼みにしていたので、猾く言い訳をした。
「私は無罪です。そもそもは李妃が妖怪をお産みになったのを、先帝がお怒りになり、冷宮に下げられたのではないのでしょうか‥‥」
 それに陳林が反駁した。
「お前は寇珠に太子を連れ出させ、裙の紐で首を締めて殺し、金水橋から捨てる様に言ったのではなかったのか?」
 郭槐は決して認めようとはしなかった。包公は怒鳴った。
「白状せねば、二十棒を喰らわせるぞ!」
 左右の衛士が郭槐を地面に引き倒すと、棒で打ち始め、打たれて皮は裂け肉は破れた。
 郭槐は事の重大さを充分に判っていたので、どうあっても白状はしなかった。その様子を見た包公は、やむなく郭槐を牢に入れる事にした。

 牢に入れられた郭槐は、傷の痛みが酷く、呻き声を漏らしていた。ふと気付くと牢番が酒壷を捧げ持って、こっそりやって来て、郭槐に言った。
「太輔様驚かれましたか、私めは太輔様の御為に消痛丸を一つ探して参りました、黄酒で服用すれば、傷の痛みも治まりましょう。」
 それを聞いた郭槐は、大喜びで酒と薬を受け取ると、早速、腹の中に流し込んだ。程なくして、酔いが廻って目は朦朧となり、足元から雲が起こり霧が立ち上り出し、目の前に女の影のようなものが揺れ動いていた。
 郭槐が目を懲らして見ると、どうやら女は寇珠らしい。顔中血に塗れた寇珠は、こちらに近付いて来た。
「郭太輔、あたくしは閻王の命を伝えに来ましたの。貴方の命数は既に尽き、その身は地獄に堕ちる事になりますが、もし以前の事を正直に白状し、悔悟の心があるのならば、死を逃れられるやも知れません。」
 その言葉が終わるや否や、索命牌を手にした二頭の鬼が、鉄の鎖で郭槐を縛り上げると、薄暗く無気味な閻羅殿に連れて来た。郭槐は閻王を目にした途端、魂が吹き飛んでしまったような心持ちになって、慌てて事の次第を初めから一つ一つ供述した。

 郭槐が話し終わると、突然、灯りがつき、よくよく見れば、閻王は包公、寇珠は別人が扮装しているだけで、郭槐の供述は傍らの書記が事細かに記述していた。一杯喰らわされたと気付いた郭槐は、がっくりと腰を落とした。
 三日目に、包公は報告の為に参内し、郭槐の供述書を仁宗に直接手渡した。
 供述書を受け取った仁宗は、退朝すると仁寿宮へ劉后に会いに行った。劉后は言った。
「郭槐は先帝の頃からの老臣です、どうか陛下にあっては特別の思し召しを。」
 しかし、仁宗は何も答えずに、郭槐の供述書を劉后に向かって投げ付けた。
 劉后はそれを拾い上げて見た途端、心は引き裂かれて魂が消し飛び、地面に倒れると、そのまま儚くなってしまった。

 仁宗は直ちに天下に詔して、李妃を国母太后とし、吉日を選んで盛大に式典を執り行い、太后を南清宮から内宮に迎えた。
 仁宗はまた命じて、包公に龍頭
さつで郭槐を処刑させた。国中拍手喝采せぬ者はなかった。
 次の日、丞相の王きが老齢を理由に隠居したいと奏上し、後任に包拯を推薦した。仁宗はそれを承知すると、直ちに包公を着任させた。これにより、包公は公平に法を執行し、轟々烈々たる大事が起こるのである。この後どうなるのか、次回の『南侠献技』をご覧あれ。

【閑話休題・7】 何を貰ったの、包公? 
 今回、御褒美に色々貰った包拯さんですが、
「なんやねん、それ?!」
 って、思った方もいらっしゃると思います。で、解説。
 今回のスペシャルサンクスは「金烏工房」さんのさとうしんさま、飯香幻さま、東方教主こと二階堂善弘先生です。有難うございました。

・五爪蠎袍‥‥五本爪の黄金色の蠎(みずち)の刺繍の袍。大臣の着る礼服です。
       龍の場合、五本爪は皇帝を表現するそうです。
・攅珠宝帯‥‥珠を連ねた帯。
・四喜白玉班指‥‥「喜」の字を四つ合わせて模様にしたのを彫刻した白玉の班指。
         「班指」とは、弓を引く時に弦を引っ掛ける為、
         右の拇指に嵌める道具。

 あと、公孫策公案の「杏花雨」の事をコメントしようかと考えましたが、スプラッターを続けるのもなんだかなぁと、思ったのでやめました。


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