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顔査散の叔父は柳洪といい、貪欲な人物であった。顔生の父が生前に県尹に任じられていた時は、進んで娘の金嬋を顔査散の許嫁とした。しかし、顔生の父が世を去った後には、それを内心で後悔していた。
程なくして、妻の顔氏が不幸にも病没し、後添いに迎えた馮氏はうわべは美しいが心ばえはそうではなく、柳洪が婚約を解消したがっていると見るや、甥の馮君衡にしばしば顔を出させては柳洪に取り入る様に言った。
ある日、柳洪が書斎で娘の結婚の件で悩んでいる所に、召使がやって来て言った。
「武進県の顔家の婿様がいらっしゃいました。」
柳洪は驚いて、尋ねた。
「一人で来たのか?」
「婿様は立派な馬に乗り、書童を連れてらっしゃいます。」
と、召使は答えた。
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柳洪は内心考えた。
「きっと奴は金を儲けたんで、婚姻を進めに来たのだ。」
急いで門まで迎えに出ると、果たして、色鮮やかな衣装に身を包んだ顔査散は、端正で垢抜けており、利発そうな小童を連れたその姿に、柳洪は喜びを隠し切れなかった。
広間に通された顔生は席に着くと、母からの手紙を出して、その来意を説明した。顔生が来年の受験まで、ここで勉学の為に身を寄せるのだと分かった柳洪は、仏頂面になり、召使に命じて裏庭の幽斎に顔生が住む用意をさせた。
手紙を手にした柳洪は、沈痛な面持ちで自室に戻った。その様子を見て馮氏が尋ねた。
「旦那様、何か悩み事がおありですの?」
柳洪は、顔生がここに身を寄せる事になった一件を話した。馮氏は喜んでいるように見せた。
「良い事じゃありませんの、旦那様、何がお嫌なのですか?」
柳洪は言った。
「奴がここに一年住むとなれば、食費だってかかるじゃないか?試験に落ちたら、娘との結婚を言い出すだろうし、わしは娘も金をも無くしてしまうんじゃないか?」
それを聞いた馮氏は喜んで言った。
「そういう事でしたら、私にいい考えがありますわ、十日程も放っておけば、自分から婚約を解消して出て失せますわ!」
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二人が悪企みしている時、その窓の外を金嬋お嬢様の乳母の田氏が通りかかった。田氏は足を止め、こっそり耳を傾けると、話を全部聞いてしまった。
田氏は慌ただしく楼上のお嬢様の部屋へ走ると、この事をお嬢様に話した。
「お嬢様、些細な事を気にしている場合ではありませんわ、顔の若君とお義母様を助ける為に、明日の夜に会って相談しましょうと、顔の若君に手紙を書きましょう。」
金嬋は再三躊躇ったが、結局承諾した。
さて、馮君衡は叔母が金嬋お嬢様と自分を結婚させたいと考えていると知り、しばしばやって来ては、懸命に旦那様やお嬢様のご機嫌を取っていた。ある日、召使から顔家の婿様が来ていると聞き、驚きの余りに目と口を丸くした。
馮君衡が書斎に行くと、柳洪はひどく悩ましげで、顔生に対して不満があるのが分かり、早速おべっかを使った。
「叔父様、御心配には及びませんよ、私が一度、直に皮肉でも言ってやれば、奴は馬に乗って出て失せますよ。」
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柳洪は仕方なく、君衡を顔生の所へ連れて行った。馮君衡は顔査散が容姿端麗で垢抜けており、話す言葉は風雅なので、引け目を感じずにはおれず、一言も話が出来ない。傍らで見ていた柳洪は、馮君衡の品性下劣で無教養なのが改めて感じられて、首を横に振って出て行ってしまった。
馮君衡は気を取り直して、顔生に向かって言った。
「貴方の御老齢は?」
「小生僅かに二十と二歳です。馮様の尊歯は二十でしょうか?」
顔生の言葉に、馮君衡は目をパチパチさせた。
「私の歯なら、二十八本あります。」
顔生は笑って言った。
「尊歯とは御年齢の事です。」
馮君衡は真っ赤になった。
「顔大哥、私は無骨者です、言葉でからかわないで下さい。」
君衡は顔生が手にした扇子の書を見て、決してそう思った訳ではなかったが、奪い取って賞賛した。
「見事!好い字だ!正に竜虎相争うだ。」
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馮君衡は扇を裏返すと、背面が無地であるのを見て、年度も嘆き惜しんだ。
「何故こっちには美人画でも描かないんですか?」
言いながら、袖から自分の扇を取り出して開いた。
「私の扇子には絵が描いてあります、大哥、反対側に字を書いてくれませんか?」
顔査散は辞退して言った。
「私の拙い字では御用命には添えません、御扇子を汚す事になります。」
馮君衡は引き下がらなかった。
「どうか顔大哥、私の為に扇に字を書いて下さい。私は大哥の扇子を持って行きますから、書いてくれたらまた交換しましょう。」
馮君衡は自分の書斎に戻り、顔生の扇を眺めては、歯軋りして悔しがった。
「顔生の才能も容貌も俺より百倍いい。このままじゃ、従妹の金嬋は奴に奪われちまう、どうすりゃいいんだ?」
あれこれ思うと、その夜は一睡も出来なかった。
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次の日の朝、馮君衡は悩み事を山の様に抱えて庭園にやって来た。ふと見れば、金嬋お嬢様の侍女の綉紅の姿があった。馮君衡は怪しく思って尋ねた。
「こんな朝早くから、何をしに庭に来た?」
綉紅は誤魔化した。
「お嬢様が花を摘んで来る様に言われたんです。」
馮君衡は尚も問い詰めた。
「摘んだ花ってのはどこだ?」
「まだ咲いてませんでしたわ。どうして私が貴方様に詰問されなくてはいけませんの?余計なお世話です!」
言い終わると、綉紅は身を躱して行ってしまった。
逆ねじを喰らわされた馮君衡は、唖然としていたが、心中の疑惑は膨らむばかりであった。急いで幽斎に行き、何か証拠を掴みたいと思った。
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顔査散は丁度、綉紅が届けた手紙の封を開けようとしていたが、馮君衡が入って来たので、急いで立ち上がって席を勧めながら、手許の本の間に手紙をはさんだ。馮君衡は、
「顔大哥、何か解りやすい簡単な詩の本を貸して貰えませんか?」
と呼びかけると、顔生が本棚へ探しに行った隙に、こっそりと本の中から手紙を取り出し、袖の中に隠した。
自宅に戻った馮君衡は、借りた本は放り出して、手紙の方を読みはじめた。その内容は、
「金嬋は今晩二更に通用門の所で顔査散様にお会いし、父には内緒で受験の助けとしての銀子を贈らせて頂きます。‥‥」
読み終わった馮君衡は、想像力を逞しくしていた。
「もし、お嬢さんが顔生に会えば、俺との結婚話が駄目になってしまうじゃないか?よし、二更になったら顔生の振りをして会いに行って、手紙をネタにお嬢さんを脅迫して、俺との結婚を承知させよう。」
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二更になって、銀子や首飾り、衣服を一包みにした金嬋は、それを顔査散に届ける様に綉紅に言った。傍らの田氏は勧めて言った。
「お嬢様、御自分で行かれないのですか?」
「こんな常軌を外れた事をしていて、その上私が行けば、結婚前の娘として端ないではありませんか?」
金嬋がそう言うので、綉紅は仕方なく銀子の包みを下げ、通用門近くまで来た。見れば背を丸めた一人の人物が、コソコソした様子で近付いてきた。綉紅は慌てて尋ねた。
「どなた?」
「顔査散だ。」
綉紅はその人物が顔生ではないと気付いて戻ろうとしたが、その人物に掴まれて引き戻された。見ればあの馮君衡である。腹が立つやら気が焦るやらで、慌てて叫んだ。
「泥棒‥‥」
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綉紅に叫ばれた馮君衡は、慌てて、手を伸ばして綉紅の口を塞いだが、勢い余って、綉紅を地面に押し倒してしまった。
馮君衡は綉紅に飛びかかると、その首を力一杯締め付け、あっと言う間に綉紅を殺してしまった。
馮君衡は急いで顔生の扇子と例の手紙を綉紅の死体の傍らに投げ捨てると、包みを下げて逃げ去った。
さて、部屋で待っている金嬋と田氏は、綉紅がなかなか帰って来ないので気を揉んでいた。そこで乳母がこっそりと通用門の所へ行くと、綉紅は地面に倒れて死んでおり、人集りが出来ていた。
乳母は大層驚いて、急いで部屋に戻ってお嬢様に報告した。
主人の柳洪と馮氏は召使の知らせを受けてこれを知ると、慌てて現場に駆け付けた。綉紅の傍らに残された扇子と手紙を見付けた柳洪は、拾ってそれを見るや、「あっ」と驚いた。
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柳洪は大きく溜息を吐くと、召使に綉紅の死体を片付ける様に言い付け、自分は娘の部屋へ急いだ。馮氏は訳が解らなかったが、急いでそれに付き従った。
娘の顔を見ると、柳洪は、
「とんでもない事を仕出かしてくれた!」
と責めて、手紙を投げ付けた。
既に綉紅の死を知っていた金嬋は、この父の仕打ちに、ひどく傷付いて、言い訳する事も出来ず、顔を覆って泣くだけであった。
馮氏は手紙を拾って読み、言った。
「旦那様、娘が悪いと決め付けるもんじゃありませんわ。この手紙だって綉紅が顔さんを誘惑しようとして自分で書いて、それで殺されてしまったのかもしれませんわ。」
馮氏の言葉で我に返った柳洪は、体中の恨み辛みが皆顔生の方へ流れた。部屋に戻った柳洪は、その夜のうちに、顔生が女中を殺した旨の訴状を書き上げた。
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次の日、柳洪からの訴状を受け取った県の役所は、綉紅の死体を検死すると、すぐさま開廷し、顔査散を連行し審議を始めた。
顔査散の文人らしい風雅な様を見た県尹は、人殺しの下手人とはとても思えず、気の毒にすら感じられ、啓発する様に言った。
「顔査散、お前は何故綉紅を殺したのじゃ、申してみよ。」
顔生は落ち着き払って述べた。
「綉紅は平素より私に逆らい、昨日もまた不遜な態度をとるので、私は腹立ちを抑えられず、通用門まで追いかけました。思わず挙げた手が彼女の喉にかかってしまうと、綉紅は倒れて死んでしまいました。私が殺したのに相違ございません。」
顔生には罪から逃れようとする様子はなく、甘んじて罰を受けようとするその態度に、県尹は不審を抱いた。
「この様子を見るに、顔査散は決して人殺しの悪人ではない、恐らくは何か事情があるのだろう。」
直ちに顔生を収監するよう命じ、退廷した。
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さて、雨墨は自分の主人が捕らえられて行った後、銀を隠し持って役所へ来ると、秘かに事件について尋ねた。顔生が入獄するのを待ち、雨墨は牢番に心付けを送ると、獄中に見舞いに入った。
雨墨は顔生の顔を見るや、痛哭するやら、恨めしいやらで言った。
「若旦那は人を殺しもしていないのに、何故嘘の自白をなさったのですか?」
もし本当の事を話せば、お嬢様の名節は汚されてしまうだろうと思った顔査散は、一言も口をきかなかった。
顔査散が殺人の罪を認めたと知った金嬋は、顔生が死刑になるに違いないと考え、生きる望みを失い、自分を責めた。
「私があの方を死なせてしまうんだわ。あの方の命を失わせ、どうして私が生きていけましょうか?死んでお詫びをしなくては。」
金嬋は乳母にお茶を入れて来るように言うと、自室の扉を閉じ、白い綾絹を取り出した‥‥。
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乳母がお茶を入れて戻ってくると、扉が閉ざされているので、声高に呼びかけてみたが、返事は返ってこない。乳母は慌てて扉の隙間から覗くと、お嬢様が梁からぶら下がって自殺しているのが見え、驚いて悲鳴を上げた。
その悲鳴を聞きつけた柳洪は、召使を連れて慌ててやってきた。部屋の扉を開け、金嬋を下ろしたが、両の目は固く閉ざされ、魂は消え去っていた。堪え切れずに柳洪は大声で泣き叫んだ。
その傍らにいた馮氏は柳洪を罵り責めた。
「このクソ爺、泣く事しか出来ないのかい!すぐに娘を納める棺を用意し、世間には娘は重病だと言う事にして、しばらくしてから、娘は病気で死んでしまったと言えば、人の耳や目を誤魔化せるわ。」
柳洪は言う通りにするより他はなく、娘を棺に納めさせ、庭の敞廳(戸や敷居のない大広間)に運ばせると、庭への通用門を施錠し、家の召使全てに口外を禁じた。
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