三侠五義・其の四 顔生蒙冤(顔査散の冤罪)・3

 柳洪の屋敷の召使の中に、その父の牛三の代から柳家に仕えている牛驢子という者がいた。柳洪は牛三の長年の働きに感じる処があり、庭園の裏門の外に三間続きの藁葺きの家を建て、牛三親子と嫁を一緒に住まわせ、庭園の番をさせていた。
 この日、牛驢子は家に帰って来ると、お嬢様の自殺の事を話した。驢子の女房の馬氏はお嬢様の棺桶の中に入れられた沢山の金銀や首飾りの話を聞き、涎を垂らさんばかりである。
「あんたに度胸があるんなら、夜の間にそいつをこっそりいただきに行っちまえば、私達は大金持ちになれるよ。」
 牛三老人は俯いた。
「嫁よ、お前は何て事を言うんだ!わしらの旦那様がこんな不幸な目に遭いなすってる時に、そんな不心得な真似をするんじゃねえぞ。」
 牛驢子は聞いて却って心が動いた。自分の部屋に戻り、女房とこっそり相談をした。二更になって、驢子は裏門へ走り、塀を飛び越して中に入った。

 牛驢子は手探りで敞庁まで来ると、広間の中央に置かれた棺桶を見て、思った。
「俺が蓋を開けさえすりゃ、お宝が手に入るんだ。お嬢様が幽霊になっていたって、気にするもんか。」
 棺桶の傍らに来ると、諸手に力を込め蓋を持ち上げた。
 蓋は封をされていなかったので、簡単に押し上げられると、傍らに放り出された。すると棺桶の中から一声、
「ああ‥‥。」
 それは牛驢子を死ぬ程驚かせた。驢子は外へ逃げようと背を向けた。
 庁から出て、牛驢子が棺桶を振り返って見れば、月の光の下で、棺桶の中でお嬢様がもがくように身体を起こしている姿があった。牛驢子は腰が抜けてしまった。
 牛驢子は心を鎮めて考えた。
「お嬢様の魂はまだ身体には戻って来ていない様だ。毒を喰らわば皿までと言うじゃないか、嬢様を絞め殺して、お宝を頂いてしまおう。」
くるりと寝返って起き上がると、敞庁の方へと歩き出した。

 牛驢子が石段に足をかけた時、何かが飛んで来た。避けてはみたが間に合わず、左手の中程に当たり、痛さの余りに牛驢子はその場を行ったり来たりする事しか出来なかった。
 その時、傍らの太湖石の築山の陰から何者かが飛び出し、牛驢子に向かって足を上げると、地面に蹴り倒した。
 形勢不利と見た牛驢子は、地面に腹這いの姿で何度も喚いた。
「旦那様、命ばかりはお助けを!」
 その男は牛驢子を踏み付けて、尋ねた。
「あの棺の中の死人は誰だ?」
 牛驢子は答えた。
「私の主人のお嬢様です。顔の若様が牢屋に入れられちまったんで、自殺したんです。」
 不愉快そうな顔を布で隠したこの人物、その正体は白玉堂である。白玉堂は言った。
「貴様が最初、金欲しさに盗みを働こうとしたのは見逃せても、後からその為に人を殺そうとした心根、死で以って償うに値する。」
 白玉堂は牛驢子を築山の陰に引きずると、刀を一振りし、殺してしまった。

 実は金懋叔を名乗っていた白玉堂は顔査散に銀子を送った後も、道中陰から見守っていたのである。顔査散が柳家に住み始めてたった二日で災難に巻き込まれてしまったので、大層訝しく思い、ここ何夜か庭園に潜入して事情を探っていた処、上手く牛驢子から聞き出す事が出来たのである。
 牛驢子を殺した白玉堂は、堂に上がって金嬋が棺から出るのを助けようかと考えたが、独身の男女の事、変に誤解を招くのを畏れて、一計を案じ、大声を上げた。
「お嬢様が生き返ったぞ!早く来て助けて差し上げろ!」
 言い終わると、通用門を蹴り破って、建物の上に飛び上がると、夜陰に紛れて姿を消した。
 丁度この時通用門の外を夜回りが二人通りかかっていた。突然の声に、急いで提灯を掲げて敞庁へ行けば、お嬢様が棺の中で身体を起こして座っているではないか。二人は驚きの余り飛び上がった。
 二人は員外に報告する為戻る事にした。築山の辺りで何かに躓いたので、灯りを向けると、血だまりが出来た中に牛驢子の死体があったので、驚いて叫んだ。
「誰か来てくれ!人殺しだ!」

 声を聞きつけた柳洪は、すぐさま召使を連れて馮氏と駆け付けた。二人が金嬋を見れば本当に生き返っており、喜びに堪えなかった。急いで乳母や侍女達にお嬢様が棺桶から出るのを助け、背負って部屋に戻るよう言った。
 柳洪は棺桶の傍らに落ちている板斧を拾い上げ、夜回りに付いて築山の辺りへ来ると、そこには牛驢子の死体があるので、驚いて飛び上がった。柳洪は独りごちた。
「牛驢子は埋葬品を盗もうとして棺を開けたら、娘が生き返っていたので、誤って自分の首を切ってしまったんだろう。」
 柳洪は大騒ぎにしたくはなかったので、牛三と牛驢子の女房を呼んで来ると、牛驢子は埋葬品に目が眩んだが、自殺したらしいと話した。そして、二人に少しばかりの銀両を渡し、敞庁に置いてある棺をやるから、驢子の葬儀に使うように言った。

 顔査散が牢に入れられているので、雨墨は不安で仕方なかった。その日、雨墨が牢に行くと、牢番に呼び止められた。
「俗に言うじゃないか『役所にはお金、進水するのは船』中に入りたけりゃ、また銭を渡しな。」
 雨墨は悲鳴を上げた。
「もうお金はないんです。お願いです、中に入れて下さい。」
「金がないなら、出て行け!ぐだぐだ言うんじゃねぇ!」
 牢番の冷たい言葉と態度に、雨墨は泣き出してしまった。
 その時、宿直の牢番頭が案内して来た人物を見て、雨墨は金懋叔様によく似ているが、本人ではなかろうと考えた。
 それは白玉堂であった。玉堂は幾つかの錠銀を取り出して牢番に渡し、雨墨の方を向いた。
「いい子だな、お前は本当によく頑張ったよ、さあ行こうか。」

 牢番に案内されて中に入ると、顔査散は刑具こそ着けられてはいないが、乱れた髪に汚れた面差し、憔悴した顔色をしており、白玉堂は急いでその手を執った。
「仁兄、何故このような冤罪に遭われたのです?」
 顔査散は事の次第を一通り話し、答えた。
「私が手紙を失いさえしなければ、こんな事にはならなかったのだ。彼女の名を汚す様な真似など決してすまい、死あるのみだ。」
「開封府の包相の裁きは神の如しといわれています、仁兄、そこへ訴えてはどうですか?」
 白玉堂の勧めに、顔生は答えた。
「自白したのだ、最早言い訳するには及ぶまい。」
 顔査散のこの態度に、白玉堂は心中で考えを巡らせた。牢番に顔生の世話をしっかりとするよう言い付けると、雨墨を連れて監獄を離れた。
 白玉堂に付いて出た雨墨は尋ねた。
「旦那様は私めに、開封府へ訴状を出しに行けと仰るのでは?」
 白玉堂は笑った。
「お前は本当に賢いね!明日お前が開封府に訴えれば、包公が正しい裁きを下すだろう。私も陰から助けるから、顔兄のこんな災禍はすぐに終わるさ。」

 さて翌朝早く、包公は朝議に出る為に起き上がり、包興は脇部屋で控えていた。灯りを机の上に置こうとした包興が、突然驚いて叫んだ。
「刺客だ!机に刀が‥‥」
 その声に、包公は衣服をはおりながらやって来た。刀の下の紙を取り上げると、そこに書かれた「顔査散冤罪」の文字を見た。考えては見たが、意味は分からず、朝議が終わってから、ゆっくり考える事にした。
 朝議が済んで、包公は輿に乗って開封府へ戻っていた。役所の門前に差しかかると、道端の人込みの中から一人の小童が走り出て来た。小童は輿の前に跪くと、何度も呼ばわった。
「包相様、正しいお裁きを、私の主人の顔査散は冤罪を着せられております。」

 顔査散の三文字を聞いた包公は、仔細を尋ねたい故公堂まで付いて来るように雨墨へ伝えさせた。雨墨は主人が受験の為に上京して親戚の家に厄介になっている事、柳家のお嬢様付きの侍女の綉紅が殺された後、主人が捕らえられて罪に問われた事等逐一供述した。
 包公は暫し考え込み、尋ねた。
「お前の主人は柳洪の親戚であるから、出入りは自由であろう。」
 雨墨は言った。
「柳洪は私達に庭の書斎に住むように手配しただけで、主人の世話は全て私がしておりました、主人は門から一歩出た事すらありませんのに、どうして綉紅を殺せましょう?」
 包公は再び尋ねた。
「令嬢には何人侍女が付いているのだ?」
「綉紅一人と、それから乳母の田氏です。あの人は私が茶飯を取りに行った時、私に『貴方達主従はここでは用心しなくてはいけなくってよ、恐らく不測の事態が起こるでしょう。』と言いました。」
 雨墨の言葉に納得した包公は、下がるように命じると、今度は柳洪と田氏を呼んで来るように命じた。

 召喚された柳洪が事件の経緯を述べるのを聞いた後、包公は尋ねた。
「お前は下手人を見もしなかったのに、何故顔査散がやったと断定するのだ?濡れ衣を着せるつもりか?」
 柳洪は答えた。
「死体の側に落ちていた扇子に、顔査散の名前が書いてあったのです。」
 包公は柳洪を下がらせると、田氏を呼んだ。田氏は馮氏が顔査散を追い出す相談をしていたのを聞き、顔生を助ける為にお金を贈ろうとお嬢様と相談をした事、お嬢様が顔生が捕らえられたと聞いて首を吊った事、牛驢子が埋葬品を盗みに入って自殺した事やお嬢様が生き返った事等を供述した。
 聞き終わった包公、再び雨墨を呼ぶと恫喝した。
「お前は幼い癖に大胆にも本官を欺くとは、どう言った了見か?顔査散は書斎から離れた事がないとお前は申したが、それでは何故現場に奴の扇子があったのじゃ?」
 雨墨は慌てて馮君衡が扇を借りて行った事を話した。

 これで包公には事件の謎が解けたので、顔査散を呼んで来させると、尋ねた。
「柳金嬋はお前に手紙を渡したのに、約束の場所へ行かなかったのは何故だ?」
 それを聞いて顔査散は泣きながら答えた。
「まだ見ていない時に、馮君衡が本を借りに来ました。彼が帰った後、手紙は無くなっていたのです。」
 包公は顔査散主従を下がらせ、直ちに馮君衡を呼びつけると、恫喝した。
「馮君衡、名を騙り財を盗み人を殺めし事、隠さず申せ!」
 馮君衡は事が既に露見したと判り、最早言い逃れも出来ず、全てを白状する外はなかった。
 包公は馮君衡に供述書へ花押を書かせると、狗頭さつを運んで来させ、直ぐさま馮君衡を処刑した。

 包公は柳洪を呼んで来させると、責めるように言った。
「顔査散が冤罪を蒙ったのも、金嬋が首を吊ったのも、綉紅が殺されたのも、牛驢子が殺され馮君衡が処刑されたのも、元はと言えばお前が貧しきを嫌悪し富めるを偏愛したからだ、どういう刑に処するべきか?」
 柳洪は何度も叩頭して命乞いをし、改悟する事を約束した。
 包公は再び顔査散を呼ぶと、こう勧めた。
「お前にとって今一番の大義は勉学である筈だ、何故にその大義を見失い小さな節義を全うするような真似をしたのだ?融通の利かないとはこの事だ。今後は必ずや勉学に励み、そして主人を思う雨墨の忠誠心に感謝して報いる事だな。」
 事件を解決した包公は、終了を宣言した。柳洪、顔査散、雨墨と田氏は包公に感謝の礼をすると、喜んで帰って行った。
 この後の話は、次の『白玉堂開封を騒がす』で、ご覧あれ。

【閑話休題・12】 玉堂色々
 もう1種類の連環画と、香港で買った本の人物紹介ページの玉堂の絵を紹介いたします。‥‥また展昭とか、包拯とか、他の人物も順次紹介して行きます。

「七侠五義」中国老版連環画より

この本のは、比較的男前に
描かれているんですが、
私のイメージはもそっと醤油顔。
この連環画の登場人物って、
全体的に濃い目の男前。

「七侠五義」宝文堂書店より

‥‥あんまりや〜!
これぢゃ、ネズミ男じゃないか〜!
衣装は劇のものなのでしょうか?


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