飛天
飛天の誕生
北魏の飛天麦積山

麦積山133窟の11号造像碑
図34 麦積山133窟の11号造像碑


敦煌437窟
図35 敦煌437窟


敦煌248窟
図36 敦煌248窟


敦煌249窟
図37 敦煌249窟


麦積山127窟
図38 麦積山127窟


麦積山4窟
図39 麦積山4窟


柄霊寺より東南に300km、麦が堆積したような円錐形の絶壁に石岩が彫られた。麦積山である。

133窟の11号造像碑に三尊仏の龕眉の上に化生童子がある。そして両側に霊芝雲に乗った飛天はその手に花を棒げている。飛天は典型的な北魏様式で膝を後に折曲げ、躰はL宇形になる。顔立は角張り、髪は丸の双髻にしている。右前の衽の上衣を着る。袖は大きい。裾は長くひらめく。6世紀中葉、北魏後期になると、飛天は、さらに姿を変える。この時期の代表的なものは敦煌437窟と435窟がある。437号窟は方柱があり、客面の麓には塑像の菩薩像を納める。東龕上部には塑像の飛天群を作っている。飛天はスリムな躰に、顔は角張った面長、単髻を結い、弧を描いた眉をつけ、顔の中心に造作が集る。衣服はツーピース、上衣は左衽筒袖であるが袖口は斜めに大きく誇張され、裾は裙に入る。裙は長紐で結んでいる。衣服の描き方はヘラで細かく衣文を作り裙裾は大きく開く。天井は三角形を重ねるが、その四隅に飛天を時計と逆回転に配する。天井の飛天はこの方向に翔ぶものが多い。

248号窟は前室と方柱のある主室を設け、各面に1体の主尊仏を入れる。前室の天井には大きな天衣と、裾が大きくたなびく裙の飛天がある。僅かに脚を後にまげるだけで、胴体は真直ぐに立っている。いづれも顔を横にする。顔立ちは角張った面長で、頬に花仙らしき班点をつける。髪は螺髻で頭預部から背に大きく束ねる。手には供養盆を両手で持つ。楽器以外の持物を手にするのは始めてであろう。両脚にはく長裙は大きく長く描かれ、天衣とともに風に流されている。天衣は腕に2通ししており、両端と裙の裾は、忍冬唐草文そっくりに風にたなびく支枝となっでいる。風上に立向っで、大きく翔く飛天を具体的に表現する。パンタロンとショールは、茶色で輸郭を描く。手なれた画家の作品といえる。

249号窟は斗を伏せたような伏斗式方窟を彫り、その光背や天蓋周囲に飛天を配した。飛天は座る姿、片足を後に跪座する姿、垂直に降下する姿、脚だけ析曲げる姿など、各々が自由奔放なポーズをとる。長楕円の顔に宝冠をつけ、飾品帯は天衣と同様、風になびく、裸の上半身は菩薩と同じタッチで胸と腹にアクセントをつける。腕には腕釧をはめ、焦茶色、淡青色の裙と天衣は彫線で衣文を描く、菩薩をモデルとした上半身裸像が主流であるが、供養者像の衣服と同じ重領の衽をした長衣は、袖と裙に別布をつける。四壁に4体仏、天井には飛天と共に鳥、蓮華文、雷神などを乱舞させる。6廿紀末、北周の頃になると、さらに変化に富むようになる。西魏の麦積山127号結では三尊石仏のうち、釈迦の光背、雲上に飛天が舞い化生仏がその後に翔ぶ。

また麦積山4号窟は、最も高所にある。木造建築を模した石麓で、客壁に飛天が舞う。ここには伎楽天と供養する飛天がある。顔面、手足、体を塑土で浮出させ、裙、冠飾、雲を壁画として描いている。これらの飛天は、ゆるやかに浮く感じで散華の飛天は、腰を曲げるL字形の体となる。上衣は偏袒右肩、裙は腰で止め、その裙に変化を見せる。瓔珞を首、肩から腰にさげ、腕に腕釧をつける。顔は面と頬を強調し、目鼻を顔の中心に集める。手の指先は、丸く脹らむ。


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